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倉内均のエッセイ 第51回〜第60回

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●第51回 いま、わたしたちはチャンスのなかにいる。
●第52回 3D映像
●第53回 Spring has come!
●第54回 アファンの時間
●第55回 「肝高の阿麻和利(きむたかのあまわり)」
●第56回 『アファンの森の物語』
●第57回 『挑戦の500日』
●第58回 ドキュメンタリー劇場
●第59回 未体験ゾーンの誘惑と挑戦
●第60回   時代劇は新しい




【第51回】いま、わたしたちはチャンスのなかにいる。
2008年6月にアマゾンがラテルナと提携して半年がたちます。この間、わたしたちに起こっている変化は、困難な状況のなかでのチャンスを考える機会を与えてくれます。
変化は二つあります。一つは、これまで放送局がほとんど唯一の相手だった製作会社アマゾンのありようの変化。もう一つは、ジャンルを超えて多様なクリエーターとの交流が生まれていることです。
今回のわたしたちの提携の主旨は2011年以降をにらんでの「デジタル」をキーワードにしたコンテンツ作りでした。いうまでもなく、デジタル・コンテンツは放送に止まらず、デジタルスクリーンを備えた劇場での上映やネット配信、DVDなどへの流通に汎用可能な特質をもっています。しかしながら、独立系製作会社にあっては、ワンコンテンツ・マルチ ユースに足る資本力や流通力をもち得ませんでした。
アマゾン×ラテルナの提携は、双方にとってビジネスチャンスを拡大する機会となりました。ラテルナの主たる業務はファンド、すなわち出資をもって映画をはじめとするさまざまなコンテンツを製作することにあり、ティ・ジョイ(全国150スクリーンを運営するシネコン事業)、東映アニメ、東映ビデオ、東映エージェンシー各社からなる製作から販売 までを網羅する「産地直送型」を旨とするグループ事業です。
いまわたしたちは、放送で完結しない、劇場上映 やソフト販売も視野に入れた企画作りや制作を進めています。そのなかに、昨年10月に行った衛星配信制作がありました。都内で開かれたあるイベントを衛星中継し、全国のティ・ジョイ系の劇場にライブで配信するというものでした。当日のイベント会場に集まった有料の2000人の観客と同じく有料の全国 4000人が各劇場で映像を共有しました。この配信には、放送局が介在しない、テレビ番組製作会社アマゾンにとっては初めての経験でした。今後、こうした劇映画以外のコンサートやスポーツなどの配信と上映作品、ODS(Other Digital Stuff)の開発も積極的に押し進めていくつもりです。これはとりもなおさず、これまで視聴率が第一に問われる企画や制作のあり方を変え、スタッフの意識変革をもって組織のありようをも変えていくことになると考えています。

第2の変化は、提携以来、わたしたちの周囲でさまざまなクリエーターたちとの交流が起こっていることです。映画監督、脚本家、ノンフィクションライター、CGクリエーター、映画会社の宣伝マン、あるいはアーティストをかかえる音楽芸能プロダクションのプロデューサーなど、従来の映画会社や放送局の枠組みに飽き足らない志をもつ人々です。アマ ゾンの社内会議には、こうした社外の人々も出席して、互いに情報を交換し、アイディアを提案し、新しいコンテンツ作りとビジネスをめざしています。昨今アジアの製作現場で叫ばれる「共同制作」という概念を、異文化同士の衝突と克服によって得られる交流と考えれば、わたしたちの提携の目的に通じます。それは、これまで利害を異にしてきた多様な 人たちとともに、仕事を通じて喜びを共有していくということに他なりません。

この半年間にアマゾンが経験した変化は、デジタル化を契機にますます広範な製作会社に起こってくると思います。だとすれば今後、変化に対応し、新しい方向に舵を取ろうとする仲間が増えていくでしょう。わたしは、放送業界が困難な状況にあるいまだからこそ、大きなチャンスの到来と考えています。

(2009年1月)



【第52回】3D映像
『U2 3D』(3月7日(土)新宿バルト9ほかで公開)の試写を見て、3Dの今後を考える上でとても刺激的な映画だと思った。
2005年に始まったU2の世界ツアー「ヴァーティゴ・ツアー」に同行し、メキシコ、ブラジル、チリ、アルゼンチンでのコンサートを7台のデジタル3Dカメラで撮影したものだ。
冒頭、ラリー・マレンが叩くドラムセットのショ ットから始まるが、ドラムの一つ一つが飛び出しての立体感あふれる映像は、これまで経験しなかったコンサート映像の新しい体験だった。コンサートライブの構成は従来のものと変わりないが、3D効果はバンドの一人一人を独立した個人として印象づけるだけでなく、スタジアムを埋めた数万人の聴衆をマ スの群衆から個の集合として見せてくれる。客席に長く張り出したステージに進んで聴衆のなかで歌うボノは、まるでたったひとりで未知の世界に踏み込んだ冒険家のように孤独だが、演奏とともに生まれる聴衆との一体感を集約する絶対的な存在にさえ思わせる。この聴衆との一体感の表現こそライブコンサート映像の醍醐味とするなら、3Dはひじょうに有 効である。
今年は3D元年といわれるように、3D映画が次々と公開される。『ナットのスペースアドベンチャー 3D』、7月の『アイス・エイジ3』、8月の『ボルト』、そして12月のジェームス・キャメロン監督 『アバター』と10作品を超える。
昨年10月に公開された『センター・オブ・ジ・アース』はその先鞭をつけるものだったが、地底世界への冒険譚というやや古典的な物語に最新の3Dを持ち込んでは見たものの、たとえば槍のように先端が尖ったものがカメラ(客席)に向けられて目の前に迫ってくる過剰な立体演出は、基本的には「驚かし」のアトラクションの域を出ておらず、地底の奥深くの「もうひとつの地球」を提示しながら、現代的な観点はなく、かえって作品の質を減殺してしまった。3D作品がその効果を主張するあまり、人間ドラマから遠ざかり、現代性を失ってしまった例だった。
『U2 3D』は、その意味ではきわめて現代的な映画だった。なぜなら、この作品はナショナルジオグラフィックによって製作されたからだ。動物や自然の映像にかけては世界的な第一人者が、地球環境というテーマに向き合うとき、ボノをはじめとするU2を選んだのは納得がいく。そして、3Dを用いてかれらと数万の聴衆の人間としての存在感をアピールしたかったのだろう。そう考えると、この映画は自然や動物や植物とおなじひとつの世界に人間は生きているというナショナルジオグラフィックならではのメッセージを発信しているのだと思った。
今後3Dが方法として人々に受け入れられるとすれば、描かれる世界や登場する人間の存在としての「立体感」を示すことだと思う。複雑で繊細な生き物としての人間の陰影を立体的に捉えることで、けっして平板ではない本来の姿を見つめ、自己と他人の関係性を明確にし、我々を取り巻く風景にも存在感を与える。メディアとしての3Dはそのとき力を発揮する。

(2009年2月)



【第53回】Spring has come!
4月新年度、新たに新卒の社員や契約スタッフが参加してくる。期待感が膨らむ季節だ。植物が新芽を出し花を咲かせ葉を出し実を結ぶように、新人もまたつぎつぎと状態を変化させ、生まれ変わっていく様は、こちらに仔細に観察する力が求められはするが、まだまだ映像世界に未開の地があることを信じさせてくれる。会社として安定的な状態でなければ 新しい挑戦はできないが、同時に生き物としての組織や集団である以上、たえず流動的なところに身を置く気持ちがなければそれもできないと思う。
いま、アマゾンに起こっている新しい挑戦の例を ご紹介しよう。
ひとつは、映画監督の五十嵐匠がアマゾンの所属となったことだ。かれは、3本のドキュメンタリー映画を経て、戦場カメラマンの一ノ瀬泰造を主人公にした劇映画「地雷を踏んだらサヨウナラ」、金子みすゞの生と死を描いた「みすゞ」、陶芸家板谷波山の「HAZAN」、画家田中一村の「アダン」、幕末のサムライたちの青春の「長州ファイブ」など時代と 向き合った孤高の人物を描き、メッセージ性の強い映画を創りつづけてきた。映画の他にもさまざまな分野での映像作りをしていきたいという五十嵐の意向を受け、すでにアマゾン制作の「美の壷」 (NHK・ETV)を演出し、現在も別のレギュラー番組の制作にとりかかっている。また、去る3月に製作発表された映画「半次郎〜桐野利秋 風伝〜」の監督としてこの秋のクランクインめざして準備を進めている。西郷隆盛とともに明治政府と戦った桐野利秋の志を描くものとして、稲森和夫、瀬戸内寂聴氏ら多くの政財界、文化人の応援を得て、鹿児島と京都で撮影する映画である。五十嵐のこれらの仕事ぶりは、ジャンルを越えてデジタル映像表現の一元化を積極的に押し進めようとするアマゾンの挑戦の一端を示している。
クリエーターの新たな参加がアマゾンの表現の場を広げることにつながる例だとすれば、深さにつながる例もある。
4月に撮影が始まるラテルナ製作の「春との旅」という映画への参加である。脚本・監督はカンヌや ロカルノの映画祭で注目を集める小林政広。主演は仲代達矢さんである。この映画製作にアマゾンのスタッフが参加している。
かつて北海道のニシン漁に人生を賭け、いまは年老いた忠男(仲代達矢)が孫娘の春(徳永えり)とともに、自分の引き取り先を求めて兄弟たちが暮らす東北と北海道を旅するロードムービーだ。人生の最期ともなる旅は和解と拒絶を巡る旅となり、家族の愛情について考え、人生の終わりと始まりについて考えさせる映画である。
わたしは最初「春との旅」というタイトル名から、宮沢賢治の『春と修羅』を連想したが、この映画も生と死を見つめる修羅の旅であり、賢治の作品がそうであったように日本人の宗教観が色濃く反映されている物語だと思う。現在の日本映画において、このような人間を深く掘り下げる作業に関わる 機会が得られたことは幸いである。
ともあれ、4月からのアマゾンに乞うご期待。

(2009年4月)



【第54回】アファンの時間
長野県黒姫にあるアファンの森での撮影が始まった。アマゾンは20年前の『おいしい博物誌』以来、ほとんど毎年のように、C・W・ニコルさんの森作りの拠点であるアファンの森でさまざまな番組を作ってきた。今回は、BS朝日で放送される(株)リコーの一社提供番組『アファンの森の物語(仮題)』である。
アファンでは、日々森の再生作業が行われている。放置され荒れ放題だった森を少しずつ手に入れ、スギなどの針葉樹を間引き、カツラやナラ、ヤマザクラ、クリなどの落葉樹を植える。すると、それまで密生して日当りが悪かったところに太陽の光が射し、花やキノコ、そして山菜が育つようになる。また、森の中に水路を開き、地面の水はけをよくしたことで、絶滅危惧種といわれる植物が育ったり、きれいな水でしか育たないオニヤンマのヤゴが生息するようになった。そして、森のあちこちに設置されていている巣箱には、”森の番人”といわれるフクロウが棲むようになった。健康な森とは樹木、水、植物、動物など自然のすべての生態系に循環がもたらされ多様性を生みだすことだとニコルさんは言う。

今回、わたしたちは年間を通してアファンの森を撮影する。この森に関わる人びとの地道で熱心な作業を追いながら、季節ごとに変化するさまざまな植物や動物を記録し、またゲストを招いてはこの土地でとれる食材をニコルさん自らの料理で食卓に乗せて、おおいに語っていただくつもりだ。
4月下旬のある日、ニコルさんたちが森の池の底に溜まった泥を掬い、畑の土に混ぜる「泥上げ」の作業を撮影した。ニコルさんが江戸時代の農業書から学んだ農法である。ここに植えられるのはキュウリやゴウヤ。どんな味ができ上がるのだろう、つぎに訪ねるときがとても楽しみだ。
アファンでは、例年よりは少し早い雪解けで、ようやく春が巡ってきたのを待ちかねたように一斉に黄色や紫の小さな花が咲き山菜が地中から姿を出している。そして森はまもなく新緑をむかえ、木々の枝の芽は葉となって群がり森の風景は一変する。小鳥たちが飛び交う夏はもうすぐだ。
その日、わたしはアファンで一日を過ごしながら、森の時間を想像した。自然が司る時間のほかにどんな時間があるというのか。人間も自然の一部とするなら、太古から未来へつなぐ人間の営みの時間がここにあるような気がした。森の時間に身をゆだねてみる、そんな番組をお届けしたい。

(2009年5月)



【第55回】「肝高の阿麻和利(きむたかのあまわり)」
わたしが、沖縄県うるま市にある世界遺産「勝連城」を初めて訪ねたのは昨年の8月だった。眼下に太平洋がひろがる丘に建ち、その大きな城壁はどこか西洋の城を思わせる威容ぶりで、陽の光を映して刻々黄やオレンジに染まっていく。
わたしの目的は、15世紀、この勝連城の城主だった阿麻和利を主人公に描いたミュージカル、現代版 組踊「肝高の阿麻和利」を見ることだった。沖縄に古くから伝わる伝統芸能「組踊」をベースに、現代音楽とダンスを取り入れたこの舞台は、南東詩人・平田大一氏が演出し、俳優、音楽、演出スタッフのすべてが地元の中学生高校生によって上演される。
2000年の初演以来、高校卒業と中学入学という世代交代をしながら受け継がれ、「肝高の阿麻和利」ただひとつの演目を10年間つづけてきたロングランの舞台である。

「肝高(きむたか)」とは沖縄の古語で「心豊か」「気高い」という意味だという。勝連の民衆とともに生きた英雄、阿麻和利だけでなく、勝連の町や人びともさしている。実は、首里王朝が支配してきた琉球の歴史のなかで、勝連の阿麻和利は首里に 謀反を企てた逆賊とされた人物だった。それゆえ沖縄では長いあいだ阿麻和利に光が当てられることはなく否定的なまなざしの対象だった。そこで、10年前、勝連の人びとは地元に伝わる古文書や伝説を掘り起こし、支配権力によってつくられた阿麻和利像を覆し、本来の姿を発見したのだった。そして、そのことが勝連の人びとを勇気づけ、町おこしにつながると考えたのが上演のきっかけだった。ふるさと 創成の試みでもあった。なによりも、子どもたちに 自分たちの町の歴史を再発見してもらいたいという願いが込められていた。企画の発端が教育委員会だったことからもその思いはよくわかる。

はじめ一回だけの予定だった公演が10年間で公演回数150回、観客動員は9万人に達している。これは、町の人びとや演出家平田さんの熱意だけではない。子どもたちがいたからだ。最初10人ほどだった子どもたちはいまでは150人を越す大きな集団となっている。

「阿麻和利」は単なる課外活動を超えていまや子どもたちの大事な「場」になっている。学校の放課後に稽古場に集まってくる子どもたちにとっては、なくてはならない「居場所」であり、もう一つの学校のようにも見える。上級生と下級生が一緒になって活動するなかで養われる思いやりと礼儀。お金を払って来てくれる観客に喜んでもらわなければならないプロとしての厳しさと伝わったときの喜び。ここは、いま、学校の教室や家庭では得られない緊張感と達成感を感じさせてくれる、自己表現の場なのだ。だから、どの子どもたちの表情もとびきり輝いている。わたしは、初めて舞台を見たとき、実はゲネプロと昼夜2回の公演をつづけて見たのだが、その度に感動し泣いてしまった。150人が舞台に勢揃いする場面でもひとりひとりがそこにいる。150の個性がはっきり現れている。集団でありながら個人である、という集団の理想の姿にわたしはとても刺激された。

以来、アマゾンは「肝高の阿麻和利」のドキュメンタリーを撮影している。昨年11月のハワイ公演にも同行した。舞台が幕となって、1000人を超す観客全員のスタンディング・オベーションでの拍手と歓声が鳴りやまなかった。それでも熱狂は覚めやらず、ホール前の広場でいつまでも唄と踊りの交歓がつづいた。観客の大半を占めた沖縄出身の日系二 世、三世のおじいさんやおばあさんたちとの交流を通じて、子どもたちはあらためてウチナンチューの魂にふれたようだった。
そして、今年8月、待望の「肝高の阿麻和利」東京公演。
かれら、「阿麻和利の子どもたち」をぜひご覧いただきたい。

(2009年7月)



【第56回】『アファンの森の物語』
長野県黒姫にあるアファンの森で撮影した番組が放送される。9月5日BS朝日20時からの1時間番組である。
20数年前、放置され荒れ果てていたこの森がC・ W・ニコルさんたちの手によって再生し、いまや日本を代表する美しい森となってきた歴史は、同時にわたしたちの会社アマゾンと重なる年月でもある。
アマゾン設立の時期に『C・W・ニコルのおししい博物誌』を制作し、CS放送の始まりの時代には『冒険家の食卓』、さらには全日空の機内ビデオ『eco- flight』など、新しい分野に進む節目となるとき、いつもわたしたちはアファンの森にいた。そうして、これまで100本近い番組がこの森から生まれている。森の変容と進化はアマゾンのそれと一緒だと思いたいくらい、深いつながりを感じる。
そして今回、自然環境保護に力を入れる(株)リコーの一社提供で番組が誕生した。それが『アファンの森の物語〜春・夏編』である。歌舞伎俳優の市川團十郎さんをゲストに迎え、タマゴダケやイワナ、鹿肉など森の恵みをニコルさん自らの料理でもてなし、自然と日本文化との繋がりについて多いに語り合った。なかでも、團十郎さんの歌舞伎からみる文 化論は面白かった。曰く、歌舞伎が着物文化を育てるなか、良質の絹を手に入れるために手塩にかけた養蚕が大事になり、舞台で履くわらじのためには背丈の高い藁になる米作りも必要になる、という文化の連鎖についてのお話だった。これはちょうど、フクロウが頂点にいて生態系のバランスが成り立っている森の連鎖と重なっている。
健康な森はなにより心とからだの癒しの場所だとニコルさんは言う。番組の最後に二人は森の中のコナラの木の前に立った。ニコルさんがマザーツリーと呼ぶ、風格を備えた木だ。この木の周りのマイナスイオンは6000個を数えるという。通常の森林浴が2500個というから、さすがにマザーツリーといわれるだけのことはある。團十郎さんは思わず抱きつく ようにコナラに寄り添い、マザーツリーの声を聴こうとした。森の民族だった原日本人の姿を見るような光景だった。 番組はこのあと「秋・冬編」も予定されている。
そしてさらに、アファンの森を拠点にして、アマゾンは新しい試みに進もうと考えている。

(2009年9月)



【第57回】『挑戦の500日』
終戦をテーマにしたドキュメタリードラマを制作中である。正式発表前なので内容についての詳細は後日お知らせさせていただくとして、今回はこの作品のスキームについて書こうと思う。
NHKと製作会社が製作費を分担して、放送後にビジネス展開をはかる「国内共同制作」という試みが昨年度から始まっている。その本格的な最初のプロジェクトとして、アマゾンはラテルナとともに制作出資をして今回の作品を作っている。 NHKでの放送をファーストウインドウとし、劇場での公開やDVD発売という展開をしようというものだ。つまり、放送後は映画作品として市場にだしビジネスを展開していくというスキームである。
今回の取り組みは、昨年、アマゾンがラテルナと資本提携したことで成し得たといえる。わたしたちの強みは制作と配給・配信を一体化させたことで、グループ会社であるティ・ジョイ系列での上映を前提にしての制作体制がとれることにある。資本力がどれだけあったとしても、わたしたちのグループのように製作・配給・興行・ビデオグラム販売と組織 的に一体となって展開する力を発揮できる製作会社はそうはない。
わたしは、今後もこの強みを生かしてNHKをはじめ民放各局と作品作りを進めていきたいと考えている。
アマゾンのもう一人の代表取締役であり、ティ・ジョイの常務取締役である與田尚志は「挑戦の500 日」というキャッチフレーズを掲げている。ティ・ジョイはこの10年シネコンのデジタル化を積極的に 進め、劇場の新しい価値「エンターテインメント・ コンプレックス」を追求して来た。2010年春に開業予定の京都(12スクリーン)、横浜(13ス クリーン)、そして2011年春のティ・ジョイ博多(11スクリーン)、大阪(12スクリーン)のオープンまでの500日を「挑戦」と位置づけたのである。しかし、「ハコ」を作るだけではない。同時に與田は、アマゾン、ラテルナ、韓国CJエンター テインメントとの提携を強め、アジアマーケットへ拡大するコンテンツ開発に取り組んでいる。
アマゾンにとっての「挑戦の500日」は、2011年の完全デジタル化に対応して、デジタル・メディアに供給するコンテンツを作ることだ。もはや、テレビと映画とのメディアの境界線は取り払われていく。必要なのは、魅力的で高い商品価値をもつコンテンツを作る熱意と想像力である。

(2009年10月)



【第58回】ドキュメンタリー劇場
2010年2月にティ・ジョイの新宿バルト9において、NHKBSで放送されたドキュメンタリー番組10作品が一挙上映されることになった。NHKの番組がまとまって劇場上映されるのは、1926年に日本放送協会が設立されて以来83年の歴史で初の試みだという。
今回上映される作品は、『マンホール・チルドレン』、『ヤノマミ〜奥アマゾン・原初の森に生きる』、『無言の遺言〜棋士藤沢秀行と妻モト』、 『残照〜フランス・芸術家の家』などである。いずれもさまざまなコンクールで受賞した傑作揃いで、 制作会社の手になるドキュメンタリーである。わたしは放送でほとんどを見ているが、注目すべきは、多くの作品が海外の社会の実相をとらえている点だ。このことは、内向的になっている現在のテレビ状況にとって近い将来の可能性を指し示していると思う。
今回の開催の発端は2年ほど前に遡る。わたしとシネコンのデジタル化を進めるティ・ジョイのプロデ ューサーがNHKエンタープライズのK部長(当時)を訪ね、NHKのドキュメンタリー番組を映画館で上映できないかと相談したのがきっかけだった。その頃から、わたしたちはティ・ジョイを拠点にして、ドキュメンタリーの恒常的な公開の場を作るという構想 を描きはじめている。その最初の試みが今回の開催となった。そして、テレビの制約にとらわれない、社会や企業や権力を批判的に描いたドキュメンタリー映画にも門戸を広げ、豊かなドキュメンタリーの場にしたいと考えている。
こうしたドキュメンタリーは、いわば「少数派の意見」である。少数ではあるが、健全な社会に必要なものだとわたしは考える。かつてはすべての放送局に、ジャーナリスティックな視点でのドキュメンタリー枠があった。しかし、視聴率競争の激化で、多数を狙った番組がドキュメンタリーを駆逐していった。一方、映画界においても動員数を一義にした 映画作りが全盛である。社会と直接的に深く関わりたいという思いは、いますべてのドキュメンタリーの制作者にある。 今回の上映は、2011年の地上波完全デジタル移行を控え、映画とテレビの境界線を越えて、デジタル コンテンツとして劇場展開の可能性を探るものだ。
わたしは、デジタル化の加速によって、東アジアを中心にしたグローバルな規模でのドキュメンタリー復活の幕開けになると考えている。

(2009年12月)



【第59回】未体験ゾーンの誘惑と挑戦
ことし2010年、アマゾンはおもしろくなる。
一昨年6月に提携会社となった(株)ラテルナとさらに関係を強め、デジタル・コンテンツの製作を積極的に進めていくことになる。現在のテレビ番組の制作に加え、受発注構造ではない、放送を含んだ劇場、DVD販売などのマルチ展開が可能なコンテンツへの出資と製作、劇場用映画の製作、そして非・劇映画のコンテンツ(ODS)の製作に力を注いでいく。
2011年の地上波デジタル化をきっかけに、映像業界がどう変わるのか?
わたしは、おそらくこの業界がこれまで体験してこなかった「未体験ゾーン」に突入すると考えている。
たとえば、近ごろ、ソニーがアメリカでの電子書籍出版事業を発表したように、電機メーカー本体が出版もやってしまうというのは、さまざまな分野で当たり前のことになるだろう。わたしたちのいる社会は、デジタルが持つ情報の速度と、ボーダレスな平準化、生産性の向上、コスト管理の効率化といった面で、20世紀的な産業地図を一気に変える"産業革 命"のなかにいる。
これは、もちろん映像業界とても例外ではない。放送がすべてデジタル化され、映画館もデジタルスクリーンが増えていく。流通の経済原則が一元化されるなかで、異業種同士の映像制作や業界の再編や統合が起るだろう。わたしたちにしてみれば、デジタル化はコンテンツ製作の場を広げてテレビや映画のジャンルを超え、多くのビジネスチャンスにも恵まれるだろう。
しかし、デジタルによる産業革命で情報の民主化がもたらされる一方で、これによって失われるものもあるだろう。なかには、人間のこころや生き方を変えてしまうほどの大事なものもあるかもしれない。
わたしは、いつの時代でも娯楽の質は労働の質によって決定されると考える。デジタル社会における労働はこれまでは異なった娯楽を生みだしていく。
人びとはどんな情報を求め、どんな娯楽を楽しもうとしているのか、しっかり検証しなければならないと思う。デジタル化によって変わっていくものに注意深く関心を持ちながら、わたしたち製作者にできること、あるいはいちばん必要なことを忘れないこと、それはその時代の人のこころと接しあうことにつきる。
ことし、アマゾンは未体験ゾーンへと大きく踏みだす。ラテルナとの一体化に加え、韓国最大の映画会社との合弁事業、さらにはライブ・エンターテインメントへの取り組み、劇場用の3Dコンテンツの製作も始めようとしている。
新しい挑戦の年だ。志ある人とともに闘っていきたい。

(2010年1月)



【第60回】時代劇は新しい
このところ、暇をみては昭和30年代の東映時代劇映画を見ている。昨年夏に出版された『井川徳道の映画美術』(ワイズ出版)を読んだのがきっかけだった。この本は、美術監督・井川徳道氏へのロングインタビューという形式で、手がけられたほとんどの作品の、主にセットデザインの具体的な作業についての自作解説となっている。
井川徳道氏は1929(昭和4)年生まれ。近代映画協会などの美術助手をへて、1954(昭和29)年に東映京都撮影所に入り、『江戸の名物男 一心太助』(沢島忠監督・1958年)で美術監督になった。以来、東映映画150本ほどの映画美術を手がけてきている。井川作品の歴史は時代劇映画から任侠やくざ映画、さらには『仁義なき戦い』などの実録やくざ映画へと歩んだこの60年間の東映映画の歴史であり、日本映画の戦後史そのものでもある。
昭和30年代時代劇全盛の時代に、小学生だったわたしは毎週のように東映の映画館に通い、中村錦之助や大川橋蔵に熱狂していた。昭和35年に第二東映ができてからは、東映だけで4本の新作時代劇が週替わりで公開され、おそらくそのほとんどを観ていたと思う。
井川氏のインタビューを読み、美術の視点から、いま改めてそれらの映画を見るのはとても面白い。
なかでも22本の時代劇で組んだ沢島忠監督の作品には圧倒される。
『お役者文七捕物暦 蜘蛛の巣屋敷』(昭和34年・ 中村錦之助主演)では、スタジオに本格的な歌舞伎小屋を作り、錦之助の父・三世時蔵をはじめ兄弟など萬屋一門が総出演、歌舞伎『女暫』を再現している。映画のなかにリアルな歌舞伎が挿入される演出は刺激的だ。また、観客として芝居小屋を埋める数百人のエキストラのひとりひとりにカツラと衣裳を つける予算だけでも、いまでは考えられない。
『ひばり・チエミのおしどり千両傘』(昭和38年・美空ひばり、江利チエミ主演)では、劇中突然、スタジオのホリゾントを背景にスモークを焚き、抽象セットのなかで美空ひばりと水原弘の歌のシーンが入る。映画のなかに演劇的なスタイルを持ち込んだ実験的な手法だ。
さらに、『間諜』(昭和39年・内田良平、松方弘 樹、緒形拳主演)。スタジオに堀を作り、数百人の群衆が阿波踊りをするなか、三人の間諜(幕府から阿波 に派遣されたスパイ)が踊りの列にまぎれて報告しあうというシーンや、堀に注ぐ水路に三人が潜み、かれらの背景に踊りの行列が通っていくカットは、夢のように美しい。
ヌーベルヴァーグ時代劇といわれる沢島監督作品だが、美術デザインの革新性があってこそだろう。
わたし自身たえず新しい試みをこころがけようとするものだが、こうした沢島・井川コンビの作品を前にすると、何十年も前にすでに新手法は開発され尽くしていたのだと愕然となったり、また勇気づけられたりする。
井川徳道は語る。「アイデアがわいてくるんですよ。忙しいでしょ。どんどん撮影をしていくという時代で、建てたら壊しまた建てて撮影というのを毎日のように繰り返しているわけですからね。一年に何本も本編をやっているということになると頭の回 転も早くなり・・・、セット杯数の多い時代でしたから。即席ですよ」
量産のなかでの破壊と創造。クリエイターの原点がここにある。

(2010年3月)
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