倉内均のエッセイ 第41回〜第50回
●第41回 「胸きゅん!」●第42回 「方法論のみを追う者は堕落する(大島 渚)」
●第43回 「ゲキ×シネ」
●第44回 the・át・ri・cal(1.演劇的な 2.芝居じみた)
●第45回 新しい組織への模索
●第46回 『モンゴル』新しいヒーローの誕生
●第47回 アマゾン20周年
●第48回 空気を描く
●第49回 『The Harimaya Bridge はりまや橋』
●第50回 (株)LATERNA(ラテルナ)との提携
【第41回】「胸きゅん!」
4月から始まったアマゾン制作の『夜は胸きゅん』 (毎週火曜夜10時45分~11時・NHK総合)が好調にすべり出している。毎回“胸にきゅんとくる”いい話が、スタジオに組まれた夜汽車のなかから生まれる。市井の人々が実際に体験したいい話を数分間の短編ドラマで再現し、その余韻にひたり、自分の身の回りにも起こったいい話を思い出してのトークで構成される15分番組である。ただ一人のレギュラー出演者である少年隊の錦織一清さんが車掌という設定で、切符を拝見する代わりに、毎回入れ替わり立ち替わりに登場する“乗客”であるゲストが持ち込むいい話を拝聴する。
通常の番組と違うのは、ドラマで再現されるエピソードはあくまでゲストによって披露され、司会役である錦織さんはその観客となるところだ。学校や職場や家庭といったさまざまな場所での、人間関係が織りなすドラマを錦織さんはたったひとりで受け止め、感想を語る。錦織さんは、このたいへんな役回りを重すぎず深刻すぎずに、軽快にこなす。この番組の好調さの第一はそこにあるのだと思う。
5月放送予定のなかで、作家の村松友視(視は旧 字)さんがゲストの回では、中学校時代の教師の、胸にきゅんとくる言葉が短編ドラマとなった。ドラマを見終わって、錦織さんは記憶に鮮烈に残っている自分の学校時代のクラスでのある事件を語り、村松さんは最近刊行された随想集『男と女』にも収められている『クラスでヤギを飼う』の、小学校時代の教師のことを話した。昭和26年から27年にかけ て、村松さんが5年生のときの担任が、ある日突然、クラスでヤギを飼う提案をする。まだ、戦後の貧しさを引きずる時代、貧富の差は生徒たちの勉強や運動やけんかにも影響を与え、とりわけ農家の子がどの面でもハンディを背負っていた。「そのような貧 富の層を、ガタガタに崩して、子供のうちに誰にでも“主役”の楽しさを味わわせたいという依田先生の策略のひとつが、クラスでヤギを飼うというやり方だったのだ。そして、ヤギを飼いはじめるやたちまち農家の子が主導権をにぎりはじめ、当番の生徒たちは彼らに指示をあおいだ。ヤギの面倒を見るという場面において、農家の子はあきらかに主役に躍り出たのだった。」(『クラスでヤギを飼う』より)
村松さんは番組で、つい最近までの日本では、学校のクラス、そして社会に多様性を認めあう社会があったことを語っている。わたしは収録のスタジオで深く“胸きゅん”になりながら、市井の人々から寄せられる体験的エピソードで成り立っているこの番組は、大きな可能性があると強く思った。それは、多様性である。
<『夜は胸きゅん』制作スタッフ> プロデューサー : 松田信之
AP : 山田洋子/大野もも
構成 : 井上頌一
ディレクター : 平野嘉弘/河村毅/池上博司/三戸 宏之
AD : 奥村太祐/松田春秋/能島敬子/田口草一郎 リサーチ : 米沢五月/藤田みわ
(2007年5月)
【第42回】「方法論のみを追う者は堕落する(大島 渚)」
ATP(全日本テレビ番組製作社連盟)の「ATPセミナー2007」が6月26日に開かれた。会員社の若手制作者や番組制作を志望する学生を対象に、昨年度のATP賞各部門の最優秀賞を受賞した4番組のディレクターを招いて、受賞作について話してもらうという主旨だった。わたしは昨年度のATP賞審査員であったことから聞き手として、情報・バラエティ部門の最優秀賞を受賞した『あの夏 60年目の恋文』 (テレコムスタッフ制作)を演出した石澤義典さんにお話を聞いた。番組は、終戦1年前の昭和19年7月に国民学校4年生だった10歳の少年(岩佐寿弥氏)が教育実習生の20歳の女教師(川口汐子氏)にほのかな恋心をいだき、その後まったく会うこともなく過ごした60年を経て、突如始まった文通の、お二人の手紙の朗読を中心に、それぞれが暮らす姫路と東京の現在の生活ぶりを伝えるドキュメンタリーと当時を再現したドラマで構成される。
審査委員会での議論の的は、この番組で採られた方法にあった。驚くことに、80歳と70歳になられたお二人はドキュメンタリーの対象者の立場を超え、演出家が用意したドラマの出演者ともなるのである。スタジオセットのなかで手紙をしたためる、書き終わった手紙をポストに投函する、当時の遠足を再現したシーンで20歳の川口さん(俳優)と70歳の岩佐氏が向き合うなど、自由闊達に虚実の皮膜のなかを行ききする演出に対して審査委員の高い評価が集まり、文句なしの最優秀賞に選ばれた。さらには外部有識者の審査委員会からなるATP賞総務大臣賞も獲得したのだった。
今回のセミナーで、わたしはかねてからの疑問をぶつけた。斬新な方法論が勝ちすぎて、もっと言えば、ドラマのなかで本人が演じてしまったために、お二人の実在感というか実在の重みが希薄になってしまったのではないかと。演出家が今回の方法に行き着いたのはどんなことからなのか。
石澤ディレクターは、「人物がもつ事実を伝える上で、ドキュメンタリーとかドラマとかに分けて考えない」と答えた。正しい演出論だと思う。だれしもカメラを向けられて「自分」を演じない人間はいない。そもそもドキュメンタリーとかドラマとかジャンルに分けるのは、演出家ではなくむしろ放送局の編成上、営業上の理由が大きい。しかし、それでも、演出論のなかでは峻別が必要だ。事実を伝え る、かつ効果的に伝えるときに、撮影対象者とどう向き合うのか、その向き合い方が演出であり、番組の方法を決定づけるからだ。ドラマかドキュメンタリーかの選択は、作りだけが決めるものではなく、あくまで対象者との関係のなかで決定されるものだとわたしは考えている。作り手にとっては、「方法」はいつも誘惑的だ。つい、斬新で類を見ない方法をと、考えてしまう癖がある。そして、「方法」は時として商品価値を持つことが多いので、なおさらだ。
石澤ディレクターはまた、「今回、(方法上の) 冒険はしていない」と言った。聞けば、石澤さんはこの番組の取材期間に1年を費やしている。その間の対象者との関係の様々な変化が最終的な番組の形になったことは想像できる。この番組で多くの審査員を魅了した多彩で複雑に見えた方法も実は地道で辛抱強い取材活動での関係作りから生まれた、きわめてシンプルな作業の末のものだった。
(2007年7月)
【第43回】「ゲキ×シネ」
劇団☆新感線の演劇『朧の森に棲む鬼』(作:中島かずき 演出:いのうえひでのり)を、15台のハイビジョンカメラを使って撮影し、映画として上映する「ゲキ×シネ」の完成披露試写を見た。「ゲキ×シネ」とは文字通り演劇と映画の掛け合わせだが、今回の作品は従来型の演劇中継でも劇映画でもなく、「演劇は生の舞台で見るもの」という常識を覆し、これまでなかった映画体験としても驚きだった。わたしは新しいエンターテインメントの到来を思わない訳にはいかなかった。
このゲキ×シネ版『朧の森に棲む鬼』は、新橋演舞場での舞台公演にカメラを入れて撮影されている。
映像は、主演の市川染五郎をはじめ、阿部サダヲ、秋山菜津子、古田新太らのキャスト陣の演技の、おそらく舞台上演では発見できない微細な表情をクローズアップで写し取り、クレーンや俯瞰ショットで、これまた劇場では決して体験できない多角的な視座を提供する。見る者はあたかも自分が椅子席から浮揚し宙空を移動しながら演劇空間にいるような感覚に襲われる。
映像構成は、数台のベースのカメラによるスイッチングに加え、他の数台のカメラで撮られた短いカットを挿入して劇的効果を増していき、いつしか舞台上の出来事であることを忘れて物語世界に没入させる。完成された演劇は映像の切り取りによって、まったく別のリアリティを獲得し、ときおり激しい動きで顔に吹きだす役者の汗がこちらに飛び散ってくるかのような立体感さえある。
とりわけ感心したのは、古代神話的な物語とデジタル映像処理とのマッチングの妙であった。遠い時代の非現実的世界が手で触れられるような肌触りを得るのである。
と、わたしは新宿バルト9の大スクリーンで、ゲキ×シネの迫力と臨場感を充分堪能したのだが、見終わったと同時に作り手として大いに刺激も受けた。
今回のゲキ×シネ『朧の森に棲む鬼』はデジタルカメラで撮影され、ハードディスクに収納されて映写するデジタル・シネマである。その行程にフィルムは存在しない。現在、日本には3000を越えるスクリーンがあって、その大多数はフィルム上映によるものである。今後、多くのスクリーンがフルデジタル化されていくのは確実である。
そのとき、まったく新しいメディアが到来するだろうことは想像に難くない。現に、昨年のドイツでのサッカー・ワールドカップの試合が衛星によって日本各地の劇場へ配信され、時差で深夜に及んだにもかかわらず、そして高額の入場料にもかかわらず、多くの観客が劇場におもむき大勢の人と一緒に興奮を共有しながら見た「パブリック・ビューイング」 は既に始まっている。こうしてデジタル・シネマは 劇場のあり様を変え、興行作品の流通システムを変え、娯楽の質を変えていく。それはとりもなおさず、テレビメディアも変わらざるを得ないことを意味する。
そして、わたしたちが培ってきたデジタル映像ならではの"表現のコツ"は、ドラマやドキュメンタリーとかのジャンルの境界線を超えるにとどまらず、演劇やコンサートやテレビや映画といったメディアの境界をも超えて、表現と映像ビジネスの領域を一気に拡げていくだろう。
(2007年9月)
【第44回】the・át・ri・cal(1.演劇的な 2.芝居じみた)
映画『シアトリカル~唐十郎と劇団唐組の記録』 は、大島新氏が半年間の撮影期間を費やして完成させた第一回監督作品である。大島新氏は「情熱大陸」などテレビドキュメンタリーの演出を数多く手がけてきた。わたしが見たいくつかの番組では、淡々と対象の人物を描きながら透明感のある内容が印象に残っている。映画は、唐十郎が新作戯曲の執筆を始める2006年の秋から始まる。以前、箱書きや下書きをしない、一字一句の訂正もない唐の第一稿にして決定稿となる手書きの戯曲を見て、この人の頭のなかって自分の想像力なぞはるかに超えたところにあるんだと、驚嘆したことがある。映画の序幕が、大学ノートに万年筆で整然と書かれた台本のクローズアップで始まることから、このドキュメンタリーは、唐十郎の創造世界の、おそらく誰も見たことがないその謎と秘密を解き明かそうという物語であることが分かる。完成した台本は、俳優であり演出家でもある唐自身によって、具体的な芝居として形作られていく。
観客は冒頭に与えられた「唐十郎の謎と秘密」という命題を抱えながら映画を見ていくが、なかなか一筋縄にはいかない。唐十郎という表現者は、たえず日本の名もない庶民に視座を据え、ギリシャ神話やプルーストやジュール・ヴェルヌと交流し、正気と狂気、正確な方位磁石とそれを狂わす強烈な磁力、少年と(江戸下町の)大人といった「極」を同時に合わせ持ちながら回転する、巨大な振り子そのもの だからだ。
映画はそこで、14人の唐組劇団員を登場させ、かれらの行動を通して「唐十郎」に迫ろうとする。俳優である劇団員は台本印刷に始まって、大道具、小 道具、衣裳にいたるすべてをみずから製作する。また、合宿生活や日常化した飲み会など身体運動の連 続である。それはあたかも求道者の姿に似て、具体 的作業にたいして身体的であればあるほど、かれらは他では得られない精神性を獲得しているように見えてくるのだ。女優の藤井由紀が映画のなかで、一個の女優になることではなく、唐組劇団員になることが人生の目的だと語るその言葉を聞いて、わたしは、この映画の、そして唐十郎の謎を解いた気になった。
劇団員が求めているもの、それは代え難い共同体意識。かつてたしかに存在したような記憶を呼び覚ます、しかし、いまはどこにも存在しない「町」。 唐十郎が劇団唐組で作ろうとしているのは、「町」 であるような気がする。
(2007年11月)
【第45回】新しい組織への模索
「映像新聞」(発行:映像新聞社)12月24日号に、「テレビ番組制作会社ZOOM UP」でアマゾンがとりあげられ、押切祐治記者によるわたしのインタビュー記事が掲載された。以下、記事(抜粋)を紹介させていただくことで、新年のご挨拶としたい。『アマゾン(東京都渋谷区)は、2008年4月で創立20周年を迎える映像制作会社だ。得意とするのは、科学番組とトーク番組。会社の原型を作ったのは 『紺野美沙子の科学館』(84年10月〜99年3月=テレビ朝日)と『Ryu's Bar 気ままにいい夜』(87年 10月〜91年3月=MBS/TBS)だと倉内均代表取締役は話す。06年には映画製作にもチャレンジし、『佐賀のがばいばあちゃん』は、ベルリン・アジア太平 洋映画祭のグランプリを受賞した。(押切祐治)
来年(注:2008年)創業20周年を迎えますが、会社としての変化は?
「創立以来の社員が育ち、プロデューサーやディ レクターとして、それぞれの得意な分野、やりたいことが明確になってきています。それがテレビ局の人にも『彼にならこの番組が任せられるのではないか』と認識されるような状態を生んだのだと思います。そのような人材が育ったということが、当社の財産です」
人材が育ち、社長の役割は変わりましたか?
「創業時は社員が若かったので、どんな局面にも 社長が出ていき相手と折衝したのですが、今は完全にプロデューサーやディレクターに任せています。自立したスタッフがいれば、予算管理もスケジュールコントロールも問題ない。本来、制作会社というのは社長なんていらない。社長の号令一過とか、社長のカラーなどない方がいいのでしょうが、それは規模によると思います。当社は現在80-90人のスタッフが常時動いています。これが100人を超えると、管理する人が必要になります。現状は過渡期かもしれません」
「ただし、突出したプロデューサーやディレクターがいるだけでは、今後面白い番組や新しい番組の制作は、できないのではないかと思います。新しい集団であったり、組織として面白かったりしなければ、新しい番組は絶対に作れないでしょう。先ほどの言葉と矛盾しますが、新しい組織、新しい集団のあり方を絶えず考えて、それをリードできることが 社長の最大の仕事ではないかと思います。社長のカ ラーを出さないという考え方と、社長が一番の縁の下の力持ちであるような形。そのような二つの道を意識して、新しい会社・組織を模索する。そんな考えを持っています」
「そう考えるようになったきっかけは、84歳になる建築家を取材したことです。この人は日本の経済成長期に先鋭的な役割を果たしました。日本初の超高層ビル(霞ヶ関ビル)を建築するにあたり、建築家が指導者としてトップに立ち、その下で人が動くという形でやってきた従来の方法では太刀打ちできなかったというのです。そのために、各分野の専門家が、集団として組織的に機能することで成功した そうです。新しいものというのは、一人のカリスマの絶対的な能力で生まれるのではなくて、クリエイティブな集団の産物なのです。映像制作でも、異なったジャンルの専門的なクリエイターが集まって、新しい集団を形成することで、新しいものを作る可能性が生まれると思うのです」
アマゾンの社風は。
「風通しがすごく良い。給料体系も年功序列ではありません。例えば、4月に入社した新人の企画が通って、9月にはその新人がディレクターとして番組を作ることもあります。『入社したら何年かは修業の期間だ』ということはありません」
映像制作における最前線の状況をどのように見ていますか。
「例えば、劇団☆新感線の演劇を、新橋演舞場で 10数台のハイビジョンカメラを駆使し、映画的手法で撮影して上映していることに衝撃を受けています。これは、完全に演劇と映画の境目を破ったということです。また、映像機器のデジタル化が進み、フィルムの工程を経ない映像制作が、いろいろな局面で行われるようになっています。ビデオで育ったクリエイターが、その力を映画として発表できるチャンスが増えています。デジタルでものを考え、デジタルで撮って、デジタルで編集して、そのようなノウハウを身につけた制作者が活躍できる場が多くなると思います。全国の映画館のスクリーン数は3000を超えました。この半分はシネコンですが、デジタルスクリーンの映画館の数も増える傾向です」
「当社が担当して、07年4月スタートの『地球アゴラ』(NHK BS1,月2回各50分放送)は、これまでになかった番組です。NHKのスタジオと、世界各地で生活している日本人をウェブカメラで結び、身近なニュースや、現地で関心を呼んでいる話題などについての“お茶の間感覚”の会話を楽しむものです。このウェブカメラが映す映像は、限りなくパーソナルなものものです。“デジタル”というものは、限りな くパーソナルな方向に進んでいるのではないかと思います」
(2007年12月)
【第46回】『モンゴル』新しいヒーローの誕生
映画『モンゴル』(4月5日公開)を見た。2月の第80回米アカデミー賞外国語映画賞部門ノミネート作品である。総製作費50億円、ドイツ、ロシア、カ ザフスタン、モンゴルの4カ国合作という、そのスケ ールにふさわしい娯楽大作になっている。製作、監督・脚本ともロシア人で、ハリウッドでなくてもハリウッドを超える映画を創るんだという気概を感じた。テムジン(のちのチンギス・ハーン)の成長をメインのストーリーにして、合戦のモブシーンの迫力やモンゴル大草原の自然の移り変わりを描く映像詩といってよいほどの美しさは、確かにハリウッドに負けず劣らぬ映画になっている。
そして、この映画の最大の魅力は俳優にある。とかく“超娯楽大作”的スケールに埋没しがちな人間表現が多い中で、この映画では俳優たちが光っている。 とりわけテムジンを演じる浅野忠信の静謐のうちに深い思いを秘めた演技は見応えがある。彼が表現する繊細さと頼りなさを感じさせるほどの静かさは、これまでなかったヒーロー像をつくり出している。
セルゲイ・ボドロフ監督と浅野忠信が「テムジン」をつくろうとしたとき、新しい(21世紀の)リーダーシップとは何かと考えたに違いない。財力と暴力装置を手にしながら政治力を獲得していく従来型の権力者像ではなく、誇りと家族愛しかないような孤独な男がどのようにして人心を掌握し国を統一していくか、この映画の一番大きなテーマはそこにある。
カギになるシーンがある。諸部族の群雄割拠のなかで合戦に明け暮れるテムジンが敵を打ち破ったあと、馬や家財道具などの戦利品を部下やその家族に分け与えるというシーンだ。それを見た敵の兵が進んでテムジンの部下になるというエピソードが描かれている。ここには富と力の集中による統率ではなく、民主主義的な分配によってのみ統一を獲得するという作り手のメッセージがある。
見終わって、わたしはかつて、「騎馬民族征服説」の江上波夫先生に伺った話を思い出した。戦前、先生がモンゴルの王族のゲルに招かれたとき、家の裏では召使いではなく妃(きさき)みずからお茶の支度をしていたという。その光景を見て先生は騎馬民族社会の実にフラットな人間関係に驚いたというのである。そしてさらに、騎馬民族が他民族を征服するときに軍勢の規模は大きな問題ではなく、武器となるのは「情報」であり、相手の部族社会の頂点にいるボスと交渉し、娘を娶って縁戚関係になることによって「平和的に征服する」のだと先生は言われた。
たしかに、『モンゴル』の冒頭は9歳のテムジンの嫁を対立する他部族に求めるところから始まり、合戦のシーンでは常にテムジンの軍勢は少なく明らかに劣勢である。そして、最大の武器「情報」について具体的に描かれるシーンはなかったが、彼の交渉の流儀は思いを込めた「喉歌」(ホーミー)で表現されている。もしかして、ホーミーを交わすことに互いの情報交換の意味があるのかもしれない。
やがて西は東ヨーロッパ、イラン、アフガニスタン、東は中国、朝鮮半島に至るユーラシア大陸を席巻するモンゴル帝国を築いたテムジンが、「人間的な情報」の力を信じたのは想像に難くない。
(2008年3月)
【第47回】アマゾン20周年
この4月でアマゾンは創立20周年を迎えました。これまでわたしたちを支えていただいた多くの方々に心より感謝申し上げます。今後もさらに努力を重ね、おもしろいと言っていただく番組づくりに励んでいくつもりです。設立時20人足らずでスタートしたアマゾンはいま80名を超え、稼働しているプロジェクトの数も常時30を数えています。
この20年でテレビ番組を取り巻く状況は様変わりしました。製作会社にとっては、NHKの番組が製作会社に開放されるなど活動の場が増える一方で番組制作の現場では著作権のありようや制作費の切り詰めによるコスト削減といった問題と、それに大きく関わるこの業界の将来を担うべき若い人材が激減している問題があります。しかし、こうした悩み多き問題を抱えながら、非常に速いスピードで進むデジ タル化はわたしたちの可能性を開きつつあるのも事実です。わたしは、デジタルの可能性の追求次第では現実の諸問題を解決する糸口になるかもしれないと考えています。デジタルという方法を使って未体験の表現に積極的に挑戦していこうと考えています。そして、いまこそその時であると確信しています。わたしたちのこの挑戦はまもなく始まろうとしています。今後、機会を得て紹介していきたいと思っています。
20年前にわたしたちが志したのは、いかに魅力的なクリエーター集団であるかでした。初心忘れるべからず。わたしがこの20年に出会った、以下に挙げる3人のクリエーターを思いながら初心を確認したいと思います。
最初の一人は、建築家のフランク・ロイド・ライトです。
彼は、100年前のアメリカの近代化の中にあって「異端」と言われながら「有機的建築」をめざしました。いまで言えば、自然環境とともにある住宅建築でした。たとえば、家を建てるとき彼はまず樹を植えることから始めます。やがて大きく成長した木陰の中で直射日光が遮られ、涼やかな風が家の中を吹き渡ります。わたしが取材したライトの設計 になる現在も人が暮らす10数件の家のどこにもエアコンはありませんでした。化石燃料が環境に及ぼす影響や資源そのものの枯渇を当時のライトが考えていたかどうかはわかりませんが、植物や水を人間の住環境にとって重要なものとした「先見性」は、まさしく100年後を読むクリエーターの仕事と考えていいと思います。
二人目は、振付家のローラン・プティです。
プティは1924年パリ生まれの現役の振付家です。20世紀前半のパリはピカソなどの芸術家が国境を越えて世界中から集まる国際都市でした。その多国籍的な空気を少年プティは吸っていました。
プティはまた、ジャン・コクトーやサガンといった作家、画家のベラールやマリー・ローランサン、音楽家のサティたちとバレエを通じて交流し、それまでのバレエの常識を破る仕事をしています。わたしが惹かれるのはプティのクリエイティブな「越境性」です。彼の代表作である『若者と死』や『デユ ーク・エリントンバレエ』、『ピンクフロイド バレエ』は異ジャンルのアーチストとの交流によってもたらされた越境者ならではの成果です。彼はいま、アジアのダンサーによるアジアの作品に関心を寄せています。私たちが映像でローラン・プティと交流する日は遠くないと考えています。
そして、私が畏敬してやまないクリエーターのいまひとりは、建築家の池田武邦さん(大正13年生ま れ・84歳)です。
この2月にNHKハイビジョン特集 『廃虚から高層ビル、そして… 〜建築家・池田 武邦が語る戦後〜』を制作・放送したばかりなので詳しくは述べませんが、日本最初の超高層ビルである霞ヶ関ビルをはじめとする超高層建築の第一人者となった建築家です。しかし、ある日突然、池田武邦は最大手の建築設計会社で社員600人の日本設計の社長でありながら、超高層建築に疑問を持ち180度の転換をします。以来、彼は日本各地を歩き土地の風土に根ざした建築文化を追い求め、江戸の循環型社会をモデルにハウステンボスを作ったのです。
私は番組のディレクターとして半年間池田さんにおつき合いを願いました。そして多くのことを学びました。その一つは、クリエーターとは常に虚心坦懐であろうとするということでした。それは、孤独を恐れず、創造と破壊を繰り返していくということなのかもしれないと、いま私は思っています。
(2008年4月)
【第48回】空気を描く
アマゾンはこの3年、全日空のCO2削減の企業戦略「eco-fright」をPRする機内ビデオ用に、C・W・ニ コルさんとともに環境をテーマにした映像作りに取り組んでいる。6月、シリーズ3作目が日本中の空を駆け巡る。今回の撮影は4月の中旬、まだ雪の残る長野県黒姫の「アファンの森」で始まった。森、水、空気、そしてそれらをめぐる大いなる地球の循環がテーマ。映像の中にいかにしてこの美しいアファンの水と、風と、空気を閉じ込められるのか。とりわけ、目に見えない「空気」をどう映像化するか、スタッフはおおいに悩んだ。
「空気」の旅は、アファンの森に新たに作られた小さな川から始まり、やがて大きな川となって日本海に流れ出て、雲を作り雨となって再び森を潤す循環を描く構成となった。この地球規模の循環を司るのが空気だからである。
しかし、理屈ではなく感性に訴えるのでなければ、潜在的に人々が持つ環境にたいする危機感に共鳴することはできないだろう、4月の黒姫、アファンの森で、空気、風のことを考えていた。
黒姫での最初の撮影が終わった4月中旬、「大変!絵から音が聴こえる」と妻が興奮して帰って来た。国立近代美術館で開かれていた「東山魁夷展」を見て来たという。「これは見た人にしかわからない。絵から滝の音とか森の音が聴こえてくるんだから」
想像できなくもなかった。画家は平面のキャンバスに目に見えないものを閉じ込めるべく七転八倒する。時間や距離や愛や祈り、きっと音もそうだ。
展覧会が終わる2日前の夕刻、わたしは「音」を聴くべく竹橋にある美術館に行った。展覧会は新聞社の主催で大宣伝がかかっていたこともあり、大勢の人でにぎわっていたが、夜間開館ということもあり、徐々に人の波は退いていくところだった。
1時間後。わたしは興奮のるつぼの中にいた。東 山魁夷の絵の中に、「空気」が見えたのである。幻想の白い馬、夜の深い闇の中にある滝、豊かな水をたくわえた森、それらの中を風が通り抜けていくのが「見える」のだ。東山魁夷の絵から「地球」を感じたのは妻も私も同じだった。理屈ではなく感性に訴える「地球の自然」の美しさは、じつは見えないものを感じさせることに他ならない。そこに東山魁 夷のすごさがあると思った。
見えるはずのないものが見え、聴こえるはずがないものが聴こえる。そこに深い感動と驚きがあり、発見がある。自然環境問題に向かうとき、想像力こそ人間の最後の武器だとも思った。
今回の「eco-fright」で、わたしたちが表現しよ うとしたのは、この想像力だった。
(2008年6月)
【第49回】『The Harimaya Bridge はりまや橋』
アマゾンはいま、日米韓の合作映画『The Harimaya Bridge はりまや橋』のメイキング・ドキュメンタリーを制作している。6月、7月とわたしは 高知で撮影中のロケ現場に幾度か立ち会った。映画は、サンフランシスコに暮らすダニエル(ベ ン・ギロリー)が交通事故で亡くなった息子が住んでいた高知を訪ねることで生起する、異文化同士の衝突と融合がテーマの作品である。ダニエルは画家だった息子の遺作である絵を集め持ち帰ろうと、土佐のさまざまな土地を歩きめぐる。
かれはその道のりで日本人の心情に触れるうち、太平洋戦争で父の命を奪われ今度は息子を奪われたことから憎しみと偏見の対象だった日本を見直し、いま初めて日本人とこころの交流に至るという物語。
脚本・監督は、この作品が長編劇映画第1作目となるアロン・ウルフォーク。アフリカ系アメリカ人である。そして俳優陣もダニエルを演じる主演のベン・ギロリー、息子役のヴィクター・グラント、そしてダニエルの兄役のハリウッドスター、ダニー・グローヴァーといずれもアフリカ系アメリカ人である。その点、この映画はアフリカ系アメリカ人による初めての「日本映画」と言ってよい。最近の『硫黄島からの手紙』まで、これまで日本を舞台に日本人を描いたアメリカ映画は数多い。今回の映画はしかし、白人ではなくアフリカ系アメリカ人の目で太平洋戦争をとらえ直した最初の映画と言える。そればかりか、軍人でも政治家でもスポーツヒーローでもない、地方の片田舎でごくふつうに暮らす日本とアメリカの生活者同士が率直に向き合う映画も初めてだ。
日本側の女優は高岡早紀、そして清水美沙。台詞のほとんどを英語で話しながらも抑制の効いた演技で「日本の女性像」を表現していく。
この映画は、日本と日本人を描く日本映画であると同時に、すぐれてアメリカ映画である。それは、アメリカにおける「黒人差別」のテーマが根底にあるからに他ならない。映画のなかで、子供の頃から絵が好きだった息子を市の美術館に連れて行きたいが、当時アフリカ系アメリカ人の入館は禁じられていて、やむなく夜間に知人の守衛に頼んでこっそり絵を見せたというエピソードが語られるシーンがあ る。学校、美術館や図書館などの公共施設、乗り合いバスなどの交通機関、レストラン、エンターテインメント、大リーグをはじめとするスポーツなど「黒人入るべからず」の時代は、公民権法が成立する60年代半ばまでつづいた。主人公ダニエルはその時代を生きてきた人間であり、息子世代のウルフォ ーク監督の立脚点もそこにある。
この映画の物語が仕組みとしてすぐれていると思うのは、そうしたアフリカ系アメリカ人の問題意識を日本で展開しているところだ。非常に美しい高知の風土での愛の交流として描くことによって、この映画は日本やアメリカの個別性を超え、一気に世界規模の普遍性を獲得する。
異文化同士のぶつかりあいは世界中で起こっている。しかし、互いのうちにある偏見を克服しようとするこの映画のメッセージは世界のどの人々にも届くだろう。
この映画の脚本を見いだし、エグゼクティブプロデューサーも務めるダニー・グローヴァーは、わたしの質問にこう答えた。
「この映画は、21世紀の人間がどうやって共通言語を持ち、豊かなコミュニティ実現の担い手となるかを指し示すものだ」
7月下旬、映画はサンフランシスコでの撮影が終わり年内の完成、来年の初夏公開に向けて作業が進む。『The Harimaya Bridge はりまや橋』は来年の カンヌ映画祭への出品も予定されているという。
(2008年8月)
【第50回】(株)LATERNA(ラテルナ)との提携
アマゾンは、このたびラテルナとの間で資本提携を結び、業務の提携を図るとともに、テレビ番組はもとより劇場用映画をはじめとするデジタルコンテンツなど広範な映像製作をめざすことになった。(株)ラテルナは、映画の興行と配給を事業とする(株)ティ・ジョイを中心に東映アニメーション (株)、東映ビデオ(株)、(株)東映エージェン シーの東映グループ4社の企画製作部門として昨年12月に事業を開始、以来『チェスト!』、『MONGOL』、日米韓合作の『The Harimaya Bridgeはりまや橋』、『ぼくとママの黄色い自転車』などを手がけている。
今回の提携の契機となったのは、アマゾンが製作した映画『佐賀のがばいばあちゃん』である。この作品の配給をティ・ジョイに引き受けていただき、大ヒットに導いていただいた。正確で先進的な戦略と組織論を持ち、ゲキ×シネのブランド化を成功させ、良質な映画を配給するこの会社のあり方は、いつもわたしに刺激を与えてくれた。
ティ・ジョイが経営する全国14サイトのシネコンのすべてにデジタルスクリーンが常設されてあり、ハリウッドをはじめとする作品のデジタル化の流れに対応すると同時にユーザーのニーズに応えるデジタルコンテンツの開発にも積極的に取り組んできた。
アマゾンもまた、テレビ番組制作で得たデジタル的発想を生かした非放送系のコンテンツ作りと『佐賀のがばいばあちゃん』で体験したロイヤリティビジネスのチャンスを模索していた。2011年の地上波デジタル化へ向けて、放送業界も放送単位で完結する「番組」からマルチに拡がる「コンテンツ」へと転換する時代となった。製作会社にとっては、一つのコンテンツを核にして放送、劇場上映、NET配 信、DVD販売と多メディアでの展開がもはや必須な事業戦略として認識しながらも、受注発注の構造では困難な資金力と市場生産構造に伴うマーケティング力、そしてコンテンツの流通力をいかに確保するかが最大の課題だった。
ラテルナを子会社化して代表に就いたティ・ジョ イの與田尚志常務から今回の提携の提案をいただい た時、わたしは即座にお引き受けした。デジタル時 代の新しい組織論を創る格好のチャンスと思った。 常に新しく、流動性のある組織でなければ、決して 魅力的で面白いものは生まれない。
そして、わたしは仕事の幅を広げるだけでなく、 作り手の人生の幅を広げていく機会だと信じている。
(2008年9月)