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倉内均のエッセイ 第21回〜第30回

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●第21回 ふたつの「春の祭典」
●第22回 初夢
●第23回 韓流の底流
●第24回 出井氏流冒険の勧め
●第25回 ハナビラタケ
●第26回 アマゾン・ドット・コムの光と影
●第27回 妖怪大戦争
●第28回 人材確保の将来
●第29回 C・W・ニコルMBE
●第30回  映画「佐賀のがばいばあちゃん」公開決定




【第21回】ふたつの「春の祭典」
アマゾンが制作した『ダンスの冒険者、ローラン・プティ』が、NHKハイビジョン特集の枠で来春放送されることになった。
私たちの番組は、ソニー株式会社と制作会社4社が著作権を持ち合って共同製作した一時間番組4本のうちの1本である。制作を始めた時点で放送局は決まっておらず、番組完成後にNHKに放送権を譲渡する形での放送となった。

『ダンスの冒険者、ローラン・プティ』は、振付家ローラン・プティの60年にわたる作品を総覧しながら、クラシックからジャズ、ロックへとひとつのジャンルにとどまることなく越境してきたその背景に、パリという異文化が融合する都市の記憶を浮かび上がらせようとする番組である。
1924年パリに生まれたプティは20歳のとき、ナチス占領からの解放を待っていたかのように最初の作品『旅芸人』を上演する。場所はシャンゼリゼ劇場。この劇場こそ、1913年にストラビンスキー『春の祭典』バレエでこけら落としを飾った伝説的な場所だ。革命下のロシアを逃れて、パリを拠点に活動を始めたディアギレフとニジンスキーのこの初演作品は20世紀バレエの始まりをつげるバレエの革命であった。それは、異文化であったロシアの芸術がパリの芸術になった瞬間でもあった。私は、ローラン・プティが振付家としての第一歩にこの劇場を選んだところに、革新的バレエの血筋を受け継ごうとする並々ならぬ気概を感じる。
『旅芸人』は作品的にも異世界への強い関心が現れていて、登場人物はサーカス一座の道化、曲芸師、シャム双生児とそれまでの上流階級のためのバレエには決して登場することはなかった見世物小屋の芸人たちだった。そこに、戦後の大衆文化の到来を予感するプティの新しさがある。
そうしたプティの発想の元を辿れば、ナポレオン・ボナパルトに行き着く、と言ったら飛躍だろうか。ナポレオンはセーヌ川の治水と交通網の整備で、運河を縦横にめぐらした。パリを世界一の経済都市にするために運河はなくてはならないものだった。都市化にともなって国籍を超えたさまざまな芸 術家が集い、かれらは結びつき、パリは伝統を打ち破る新しい文化の発信地となっていった。
プティの仕事仲間をみると、パリがいかに多彩な芸術都市であり、異文化のるつぼだったかがわかる。ジャン・コクトー、ピカソ、ベラール、マリー・ローランサン、サガン、イヴ・サンローラン、ハナエ・モリ、デューク・エリントン、サティ、そしてピンク・フロイドといったひとたちとの交流がプティ作品を形成している。異文化同士の交流が時代を拓く。なによりその証左をプティ自身が示している。

そしていま、異文化交流は芸術表現の領域をさらに深めて人間のこころを解放する手だてになっている。その一例が映画『ベルリン・フィルと子どもたち』(原題『RHYTHM IS IT!』)にある。
このドキュメンタリー映画は、ストラビンスキーのバレエ組曲『春の祭典』を演目にしての、ベルリン・フィルと250人のダンス未経験の子どもたちによる公演記録である。子どもたちの多くはイラク、イラン、ロシア、ギリシャからの難民であり、なかには家庭や学校、社会にうまくコミットできずに自信を失い、自閉的な状況に追い込まれている者たちがいる。
映画は6週間に及ぶリハーサルを追っている。最初はクラシック音楽への違和感からダンスに集中できない子どもたちに対して、振付家ロイストン・マ ルドゥームの、振付というよりはがまん強い対話がつづけられる。やがて、出身や年齢、環境の違いをかかえながらも、子供たちはひとりひとり自覚的に踊るようになっていく。
この映画の見どころは、子どもたちがダンスを通して自分を見つめ、こころを解き放していくさまにある。そして、ラスト、子どもたちとサイモン・ラトル指揮のベルリン・フィルとの共演の舞台は緊張 感に満ちた感動的なシーンとなっている。

不思議なことに、ストラビンスキーの『春の祭典』は時代の危機に登場する。20世紀はじめの第一次世界大戦直前のパリでダンス芸術に革命をもたらし、そしていま21世紀初頭のテロと戦争の時代にあって、ベルリンで子どもたちに生きる手助けを与える。そのいずれもが異文化同士の出会いによるものだ。
しかし、異文化交流はパリやベルリンの芸術の世界の話に終わらない。私たちのテレビの現在に関わる問題である。アマゾンの採用試験を受ける大学生の均質化については既にこの欄に書いたが、経済価 値と効率を求めてのマニュアル化が急速に進んで、
そこからもたらされる均質な社会ほどクリエイティブから遠いものはない。
ベルリン・フィルの芸術監督として教育プログラ ムを推進するサイモン・ラトルは映画の中で言っている。
「いまベルリンではかつてない規模の経済破綻が進んでいる。これからの時代を生き残るために芸術 は戦わなくてはならない。そのためにはもっとクリエイティブな人間が必要だ。違う物事を結びつけたり、新たな方向に進むことができる人間が必要だ。
この狂った時代、人々は芸術に生きる意味を見いだす他はない」

(2004年12月)



【第22回】初夢
年末年始の休みは、わたしにとってあれこれ企画を考える時間になっている。実際に成立するかどうかのリアリティは棚におき、行ってみたい場所へ行き、訪ねたい人物に会い、見たいものを見る、そして撮影後の夜のレストランや劇場も考える、ほとんど夢としかいいようのない番組を考えるのだ。
このなんとも生産性のない、書き初めにもならない「初夢」の作業は、年末年始という舞台設定のおかげだ。緊張の日々のエアポケットにゆったりとたたずんで、終わりと始まりがあわただしく行き来するのを横目で眺めながら、先の成り行きをなんとなく思いやる。 これはもしかしたらリタイア後の人間の淡々とした心境に近いものかも知れない、ふとそう思った。
だけど、そんな心持ちで企画を考えられるのならリタイアは悪くない。いや、これからは企画というのはそうした環境から生まれるのかもしれない、とも思った。

2年後に始まる団塊世代の大量定年退職時代が、日本のあらゆる産業の活性化の動機づけになっていることを考えても、リタイアの意味はこれまでとは大きく変わってくるだろう。どんな分野でもその年代を無視しては物事がうまく運ばない。自然、かれらの発言力は増してゆく。体力は弱まっているけれど経験の力は補ってあまりある、無敵のシニア艦隊の到来だ。実際、わたしの周囲でも還暦をこえた人たちに「おまえはまだ洟垂れ小僧!」と叱られそうな迫力を感じることが多い。先輩たちはほんとうに 元気だ。
つい最近でも、ラジオのトーク番組で聞いた春日二郎さんという人がいる。春日氏はいま86歳。戦後直後に立ち上げた春日無線から出発して、30年代には音響メーカーのトリオを設立(トリオのステレオは中学生当時のわたしの最大の憧れだった)、 そしてさらにアメリカ・ケンウッドを成功させた経営者として音響の第一人者の道を歩んできた。
しかし、春日氏は突如50歳代半ばになって創業者である自分の会社を退職し、アキフェーズという高級オーディオメーカーを作ったのだった。聞けば、いまアキフェーズは従業員100人足らず、年商20億の小さな企業である。なぜ、せっかく一流大企業に育てた会社をやめたのかという質問に、春日氏は「安い値段のものを大量に売るのは本意ではなかった。会社の規模が大きくなって、今度は何千という従業員の生活のためにさらに安く大量に、という経営が強いられる。自分は、本来、高級志向のオーディオを作りたかった」と答えている。
春日氏のように、50代半ばというのがやりたい仕事をやり始める適齢期なのだとすれば、ほんものを見極める企画もそこから生まれてくる。年末年始、瞬間的リタイア状況で夢想するわたしの企画にもリアリティが出てこようというものだ。「初夢」も夢におわらないかもしれない。
わたしの年頭(念頭?)の企画は、ロシアである。
永い冬の終わりを待ちわびていたかのように、辺り一面狂ったように生命の響宴をくりひろげる春か、短い一瞬の夏か、撮影はその頃が望ましい。
チェーホフやチャイコフスキーに代表される19 世紀の、ロマンティックで、深くて哀しみのある、人間くさい文化がロシアにはまだ生きている。そこでわたしは、人間と大地と音楽の番組を作る。
さあ、営業に行こう!

(2005年1月)



【第23回】韓流の底流
韓流ブームのおかげで,このところアマゾンでは 韓国関連番組の制作がつづいている。昨年10月から始まった『韓タメ!』(フジテレビ・毎週土曜放 送)、そして日韓友情年を記念したスペシャル番組 『韓流スターに恋して(仮題)』(2月・フジテレ ビ)、さらに4月に放送が予定されている、韓国ドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』の関連番組『女流の心 韓国文化を支える女性たち(仮題)』(NHK)と韓国取材番組が目白押しである。
いうまでもなく、日本での韓流ブームを支えているのは女性たちだ。ここ数年来温度の高い韓国製の映画がヒットし、ついにテレビドラマの放映にいたって、女性たちが、視聴するだけでなく旅行や買い物へと行動的に反応してブームの火付け役となったことに職業的な関心はもっていた。しかし、なぜこれほどまでに日本女性のこころをとらえるのか、その理由について誰もが論者となって語り、いちいちもっともな説明を聞いて、ふーん、そうなのかと納得し、それ以上のことを考えたり言ったりする気持ちはわたしには生まれてこなかった。ただぼんやりと、映像メディアがもたらしたブームの背景に、国家が積極的に後押しするビジネス戦略がひそんでいるとはいえ、日本と韓国との間にあった不幸な歴史を乗り越えようとする双方のひとびとの熱意と努力があっての賜物だろうと想像していたにすぎなかった。

アマゾンが制作中の『女流の心 韓国文化を支える女性たち(仮題)』は、わたしのようなぼんやりとした「韓流」についての思いを持つ人間に明快なこたえを与えてくれる番組をめざしてつくられている。
番組は、韓国の文化を「料理」「物語」「漢 (韓)方」の三つに集約させ、それらに女性たちが どう関わっていたのかを探るドキュメンタリーである。とりわけ、いま日本のお茶の間に定着している 『冬のソナタ』をはじめとする韓国ドラマと密接に関わる「物語」のくだりには発見と驚きがある。これらのテレビドラマの書き手はほとんどが女性脚本家であり、女性ならではの視点でつむぎだされる「物語」のなりたちには、朝鮮半島の歴史において 女性がおかれた地位から必然的に生まれたれっきとした理由があったことが検証されている。
「物語」がそもそも女性のものだったことは、日本の物語文学の最高峰である『源氏物語』の作者とおもな読者が女性だったことからもわかるが、紫式 部自身が思い描く理想の男性像への女性読者たちによる圧倒的な共感が今日なお名作たり得ている理由だろう。光源氏の魅力は、「<なまめかし>、つまり清楚でほっそりと色白で、女性をくどく殺し文句 のたくみさ,またその一方ではいつまでも女を見捨てない<心長さ>、さらに純粋でひたむきで、ときには平素の思慮分別を失って暴発する激しさなど、要するに理想の人といっても聖人君子からは遠く、男の肉体と欲望とのなまぐささを持つ存在である。その優しさと激しさとの共存が女心を酔いしれさせるのである。また源氏は基本的に半世俗、反政治の 風雅の世界に属しており、それが彼の美の保証ともなっている」(今井源衛「平凡社・大百科辞典」) この解説に書かれている光源氏のキャラクターは、韓国ドラマに登場する男性主人公そのものといっていいほどだ。そう考えると、韓流の主役たちには時代をこえ、民族をこえる理想の男性像が与えられていると言えるだろう。

韓国における「物語」の源流を探る今回の番組では、女性が「物語」と必然的に関わった最大の理由として、「源氏」が「かな文字」で書かれたのと同様、儒教社会においては女性のための文字であったハングル文字の存在に焦点を当てている。当時の社会では漢字は男だけのものとされ、女性が漢字を学ぶことや書くことは禁じられていたという。女性に はハングル文字しか許されなかったのだ。「公」すなわち政治や経済はあくまでも漢字をあやつる男の独壇場であり、「公」から隔離され「家」にしか生きる道がなかった女性たちが親しんだのがハングル 文字で綴られた日記や小説だった。そして、女性たちの、料理をはじめとする家事あれこれや家族模様をつれづれに書き記すなかでの、ささやかだがたしかな手触りの日々の暮しの幸福を願う気持ちが「物語」を誕生させ、境遇を同じくする多くの女性たちの共感を得て「物語」は確立していったのだった。
この取材は現在の韓流ブームの原点を解き明かし、わたしに「こたえ」をあたえるものになっている。
ひるがえって、なりたちから今日にいたるまで 「物語」が女性のものだとすれば、わたしは「物語」の隆盛にこそ希望を見いだしたいと思う。いまわたしたちの社会を覆うさまざまな痛みと不安の多くは、男性原理たる政治や経済に起因するといって よい。男性原理が人々に幸せをあたえられる限界はもう過ぎている。韓流ブームの底流に見つけた女性原理に、わたしは勇気づけられている。

(2005年2月)



【第24回】出井氏流冒険の勧め
ソニーの出井伸之氏が会長を退任し最高顧問に就任、とのニュースは衝撃だった。
ソニーが戦後間もない1946年に設立してから60周年にあたる2006年にむけて、「TR(ト ランスフォーメーション)60」と名づけられた組織改革の陣頭に立って来られたのが出井さんだった。
わたしは、「出井伸之 私の流儀」という番組でCEOとしての顏はもちろん、ワインやクルマなど多彩な趣味をもつ顏とともに2年間にわたって出井さんを取材してきた。オンとオフのふたつの軸をスリリングに交差させる出井流を目の当たりにして、取材はいつも刺激的だった。だからその番組が終了したあとも「TR60」を進める出井さんを取材するチャンスをうかがっていた。
60周年は会社にとっても還暦、「ソニーは生まれかわらなければならない」と語る出井さんの言葉から、「会社が生まれかわる」というイメージにすっかり魅了されたわたしは、出井流への関心をさらに強くしていた。
会社の規模で言えばソニーとアマゾンとではおよそ比較にならないが、出井さんの発想のしかたは小さくはあってもわたしたちの組織を考える上で刺激になった。数えあげればきりがないほどだが、もっとも印象に強いのは、出井さんが熱をいれたクオリア・シリーズの商品開発だった。これこそは出井流スピリットを象徴しているとわたしは思う。
茂木健一郎氏の「クオリア」学説を受けて、人間の脳のなかにある根源的な感動を導きだそうというのがクオリア・シリーズのコンセプトである。
大量生産ではなく注文生産によるこの商品群は、デジタル環境が整いつつあるなか、「薄い・軽い・ 安い」がもてはやされる時代にあえてアンチ・テーゼともいえる「厚い・重い・高い」という高級本物 志向の追求だった。それゆえ、これらは一般向け商品として爆発に売れるものにはならないだろうとだれもが考えたにちがいない。
しかし、クオリア・シリーズの発想そのものには、時代の要請に沿って生きるだけでいいのか、売れるものだけを作っていていいのか、という作り手としての強烈な自問自答をわたしは感じた。むしろ、作り手が新しい時代をリードしなければ、という意気込みを受けとった。わが身にひきよせていえば、人々のニーズに応えなければもちろんテレビは生きていけない。しかし、本物志向を忘れたらテレビをやる意味がない、ということだろう。 本物志向は必然的に、平穏無事な日常からの冒険へと向かわせる。冒険には失敗がつきものだ。たえず冒険は逆境に身を置くことと背中合わせとなる。
だから、たいていは尻込みしてしまうところだ。しかし、ある時期肩の痛みに悩んでいた出井さんが、肩に無理がかからないフォームを工夫してゴルフの練習に励む姿を見てとても驚いたことがある。
逆境ならむしろそれを楽しんでしまえ、というようにみえた。それはオフでのエピソードだったが、オンの場面においてもきっとそうなのだと想像した。
人は逆境に身を置いたときにはじめてその人本来 のエネルギーが出てくるのかもしれない。
冒険が楽しいのは、それまで気づかなかった自分 の真価を発見させてくれるからではないだろうか。

(2005年4月)



【第25回】ハナビラタケ
アマゾンはこの春、ユニチカの健康食品「白幻鳳 凰」のテレビ・コマーシャルを制作した。
出演するのは紺野美沙子さん。
「白幻鳳凰」は幻のキノコといわれるハナビラタケの人工栽培に成功したユニチカが製品化したものである。ハナビラタケはアグリクスの3~4倍のβ グルカンを含有するという驚異的なキノコである。
森の深くにひっそりとあって人間の健康にとびきりよいキノコの存在は、なにか幻想的な物語を思わせる不思議さを感じさせる。と同時に、栽培を恒常的に可能にした現代の技術への驚きもある。
今回は数社からなる企画競合だったが、アマゾンの企画は凛とした紺野さんのキャラクターをひきだしつつ、植物の不思議さと栽培技術への畏れと驚きが表現されている。キャッチコピーは「背筋をのばしていただく」。これはすなわち自然界と先端技術との融合に向き合うわたしたちの姿勢でもある。
いま、あらゆる商品は「環境」から逃れることはできない。クライアントの企業にとっても制作会社にとっても、コマーシャルはたんに商品情報を伝えるだけにとどまってはいられない時代になっていると思う。だれもがいま地球上で進行しているさまざまな問題を共有する現実のなかにいる。環境にたいする現実的認識が根底にないと、たとえ15秒の世界であっても企画は成立しないのではないかと思った。

自然と科学文明とを対立的な図式で考える時代はもう過ぎている、とはいえ、両者のあいだにある境界線をあいまいにする傾向にはわたしは違和感を覚える。「環境にやさしい」という言い方は自然と科学技術の調和をイメージさせることばとして流行りだが、わたしは素直にうなずけない。自然と文明との間の緊張関係はそんななまやさしいものではない だろうと思うからだ。
かつて朝永振一郎博士がノーベル物理学賞を受賞して、授与された記念のメダルをはじめて見たときのエピソードを思い出す。朝永博士はそこに「自然」のヴェールを「科学」がひきはがそうとしている図柄が描かれていることに感動している。そして、ノーベル賞受賞とはたえず自然と科学との緊張 的な関係を自覚しながら研究していくことをあらためて促す機会であることだとしている。朝永博士のことばには、自然を意識しながら文明を作りだしていくという永遠の課題を背負うことになった重みに満ちている。

「アマゾン」という会社を始めるとき、横尾忠則さんに会社のロゴ・デザインをお願いした。横尾さんのイメージは、アマゾンという未知の大自然にテレビジョンという先端的な手法と技術が分け入っていく、というものだった。
考えてみれば、未知の領域に踏み込んでいくときの、対象との間に生まれる緊張関係そのものをとらえることが番組制作なのだと思う。

(2005年5月)



【第26回】アマゾン・ドット・コムの光と影
潜入ルポ「アマゾン・ドット・コムの光と影」 (横田増生著)を読んだ。これは、著者がアマゾンの物流センターにアルバイトのピッキング店員として潜り込み、ハイテクIT通販企業の雄としてのアマゾンの物流システムの内情を克明にルポルタージュしようとした話題の本である。
「アマゾン」といえば、いま多くの人は「ああ、あのネット書店の。本社はアメリカですよね」などと答えるだろう。我が社と同名の社名をもつことから、ときどき間違って本の問い合わせの電話がかかってくるたびに、はたしてむこうのアマゾンには番組の問い合わせがいったりすることはあるのだろうか、と考えてしまう。ちょっと悔しいのは、会社の設立ではわたしたちのほうが先なのに、「amazon」 というドメインネームの登録で先を越されたことである。結果、我が社は「amazone」という、アマゾネスを思わせるようなものになっているのである。
それはさておき、実はわたしはアマゾンユーザーでもある。インターネットで1500円以上を注文すると送料無料で、原則24時間以内に指定の場所に配送してくれる。仮に、1500円の本を一冊だけ注文したとすると宅配便の一回の送料が300円なので1200円に値引きされたことになる。出版社・取次(本の卸)・書店という流通のなかで利幅が薄いとされる末端の書店が2割も値引きして成り立つ商売の仕組みとはどうなっているのだろうか、素朴な疑問だった。
値引きに加えて、簡単な決済方法、ネット上で推奨される関連本の紹介の精度の高さなど、わたしのように本屋に足を運ぶ時間の余裕がない、しかし本を読むことが仕事や生活のうえで大きなファクターになっている人間をとりこにする魅力がそこにはあって、わたしもアマゾンにはまっている人間である。
そのアマゾンのシステムがどうなっているのかという、テレビではなかなかあり得ない体験的潜入ルポルタージュが出版されたというので、わたしは何件かの書店を探しまわって、やっと新橋の書店で入手した。(もちろん、アマゾン・ドット・コムで入手することはできるのだが、なぜかその気にはなれなかった。)

著者の半年間にわたる潜入ルポは、実際にアルバイトとして働いた現場にあって、秘密主義の壁に阻まれながらなんとかして独特なシステムを解き明かそうとする取材力で一気に読ませる。そして、まさに時代の最先端を行くこのIT通販企業をささえているのは、そのピラミッド型のシステムの底辺において、徹底したマニュアル管理のもと個々人のオリジナリティが発揮される余地はなく、効率のみを重視されながら働くアルバイトたちの過酷な労働であるということが、読み進めていくうちに徐々に明ら かになっていく。
それは、あの有名な映画「メトロポリス」(1926年製作)を想起させる労働現場だ。自分が何の為に、何をしているのかもはっきり知らされず、ただ大きな流れの歯車の一員として、すり切れるまで働かされる労働者たち。彼らは単なる「労働機械」で しかない。
「代わりはいつでもいる。やめたければいつでもどうぞ」という雇用側の意識を嫌というほど感じながら、しかし、時給900円のために黙々とピッキングという単純作業に従事するアマゾンのアルバイトたち。ピラミッドの底辺に位置する彼らはその上の階層とコミュニケーションをすることは許されていない。しかし、その上の階層にいくと、また同じ構造になっているのだ。会社の売上高すら明かさず、システムを盤石にしていくための、徹底した秘密主義がとられている。それは日本支社の社長とアメリカ本社の間でさえもそうなのだと著者は明らかにする。

「働く場所としては、アマゾンのことをこれ以上 ないくらい嫌悪しながら、同時に利用者としてアマゾンのファンであるという矛盾した気持ちが同居している」という著者の独白。その矛盾はユーザーで あるわたしも共有する読後感となっている。
「本」という、限りなく人間的な媒体がわたしたちのもとに届くその過程に存在するあまりにも非人間的な現場という図式は、ハイテクIT企業のまさしく影の部分だ。消費者の利便性の追求、それに応えることで急成長したアマゾン・ドット・コム。利便性の追及の裏での過酷な労働集約型の、人間性を疎外する労働現場。
この本は、いま日本社会全体が突進しているのが 「アマゾン的」な世界であることを示唆する。平等をうたう社会の、しかし実はどうしようもない不平等の実在こそが、現実なのだと著者は言う。労働現場の最底辺で、ノルマとコンピュータの監視を受けながら時給900円で働く人々が、その上の階層にいくことは、これから先の秘密主義、超効率主義の社会ではありえないことだ、とも指摘している。

「階層化社会は働く人間を“エリート”と“非エリート”にわけていく。そこでは考える事はエリートの仕事であり、手足となって働くのは非エリートの仕事だ。そしてその峻別は際限なく繰り返される。常に競争を強いられる現代ではエリートであろうと安穏とはしていられない。エリート集団のなかにもさらなる階層化が待ち受けているからだ」(著者)

わたしたち、テレビ番組制作の現場には関係ないことだ、と言い切れるだろうか。

(2005年8月)



【第27回】妖怪大戦争
「妖怪大戦争」(三池崇監督)を見た。夏休み真っ盛りの日曜日の昼下がり、地元の映画館はそこそこの入りであった。
最近では飲食禁止の映画館が多いが、子供たちを意識してかその映画館はそうでなかった。子供たち はポップコーンとコーラを手に食い入るようにスクリーンを見つめ、わたしもビールと柿の種で楽しんだ。そんな風に映画を見たのはずいぶん久しぶりのことだった。映画産業が活況を呈した昭和30年代の映画館で、ラムネと駄菓子を手に客席に座り、隣の人と汗ばんだ腕が触れ合うほどの密集のなか、ハラハラドキドキの展開に一喜一憂した懐かしい記憶がよみがえった。
しかし、「妖怪大戦争」はその時代の映画館を思い出させるだけではない。娯楽映画の本流のあり方を示してもくれる。それはオールスター・キャストによる競演、すべてのパートのスタッフがいかんなく見せてくれる職人芸、そして初めから終わりまで芸術の香りなぞおくびにも漂わせない、その徹底した見世物ぶり。観客は、次第にドラマとしての整合性を追うのを忘れ、次々に登場する妖怪たちの摩訶不思議な姿かたちに目を奪われて、ただただ楽しんでいる自分に気がつくのだ。わたしは何十年ぶりかというくらいに素直に映画を堪能した。
「妖怪大戦争」の内容は単純だ。東京を壊滅させようとする新種の妖怪達に、日本古来の妖怪達がいっせいに立ち向かう、そして勝つ、というものだ。
この作品の最大の企みは、この日本古来の妖怪の復活というところにある。ろくろ首、のっぺらぼう、河童といった妖怪界のスーパースターだけでなく、マニアだけが知っているような、ありとあらゆる実在した(?)妖怪が登場する。
妖怪はハリーポッターやナルニア国よりは身近だ。日本はかつて妖怪大国だったからだ。江戸時代にあっては、庶民は妖怪を日常生活に取り入れ、その存在を恐れながらも楽しんでいたともいえる。それまで口承で伝えられてきた妖怪は黄表紙、浮世絵といった印刷物が広まることによって具体的な姿かたちのイメージを得、その存在が庶民の中で一気に広まっていった。その後、明治の近代合理主義は日本社会から妖怪を閉め出したが、妖怪はしぶとく生き残り、ここにきて妖怪待望論がそこかしこから噴出している。宮崎駿アニメは日本だけでなく海外でも高い評価を得ている。そこに日本の妖怪達の生命力が描かれているからであろう。
と考えてくると、「妖怪大戦争」は単なる娯楽大作ではないことに気づく。妖怪がもともと庶民の想像力の産物であるとすれば、この映画は想像力の復権をこそ訴えかけている。

(2005年9月)



【第28回】人材確保の将来
9月15日に開かれたことしのATPシンポジウムのテーマは「製作会社の将来をになう人材確保の為に」だった。人材の確保は、制作コストの削減に匹敵する、現実的で、かつ将来にわたる切実な問題として、多くの製作会社の重要課題になっている。有能な若者が以前ほどこの業界の門を叩いてこない、という危機感は高まっている。実際、ATP・ TV-EXAMの参加学生の数が今年初めて減り、採用試験応募者が例年の半分に激減した会社もあるなど、就職志望者の減少傾向はアマゾンも例外ではない。
わたし自身でいえばここ数年来、新人採用のたびに志望者の質の低下に絶望感をもちながらも、同時に彼らの姿はわたしたちの鏡であるという自覚もあった。年々の制作費削減や著作権の問題など製作会社が置かれている厳しい現実を反映して、製作会社に否定的なイメージが与えられているのではないか、という思いである。

今回のシンポジウムは6人のパネリストによって 行われ、司会はわたしが担当した。
川上裕人氏(楽天「みんなの就職」事業部長) は、大学生の間でのマスコミ業界の人気度は下がっていると紹介しながらも、採用側の努力、たとえばある一流大手企業は親に対する会社説明会までして 有能な人材確保に努めている例をあげて、採用側からの熱心な対応こそが必要だと強調した。
また、最近、日活買収で話題を呼んだ携帯向けコンテンツ企業インデックスの取締役・千田利史氏は、IT企業では入社したうちの半分以上が1年で退社するほど人材の流動化は激しいが、それが業界全体の活性化につながっていると指摘し、必ずしも離職者の多さはマイナスではないとした。また、積極的な企業買収で事業の幅を広げるIT業界からの提案として、製作会社も受注型から投資型への転換を考えたらどうかと語った。
音好宏氏(上智大学文学部新聞学科助教授)は、学生が制作現場の体験を通して「テレビの掟」をしっかり学んで帰ってくるインターンシップが将来の人材確保のキーだとし、先見の明を持つ学生はたしかに存在していること、そして彼らを獲得するにはこちらからの積極的な情報提供やアピールしかないと力説した。
さらに音先生の提言で、わたしが同感に思ったのは、業界を活性化し若い人を引きつけるためにも、一本立ちしたばかりのディレクターやプロデューサーなどミッドキャリアへの研修や教育が重要だと語った点である。
吉武久氏(総務省情報通信政策局コンテンツ流通促進室)は、「三方得」と名づけた、産業とクリエーターと学生が相互に結びあう国の施策を紹介し、クリエーター育成事業は国策でもあると説明した。高村裕氏(ATP副理事長・経営組織センター長)は、成功した番組のスタッフにはテレビ業界全体で相応の待遇を与えるべきだとし、番組予算が現在のように放送時間帯つまり「枠」に貼つけられるのではなく作り手の質つまり「人」に貼つけるということになれば、この世界をめざす若者の意識も変わる、と日本の放送局のあり方に言及した。
そして、作家の重松清氏は、メディアリテラシーの観点から、大学生はもちろん中学高校生たちのためのメイキング番組が必要だと語った。完成された番組を放送するだけでなく、その番組のなかでたとえばADの仕事ぶりがひとつひとつの場面を形づくる様を伝える番組を放送することとか、あるいは従来「奥義」とか「秘伝」のように扱われてきた演出法をより開かれたかたちで若者たちに開陳することが大切だとした。いまやビデオカメラ普及で「映像」が特権的な道具ではなくなっている時代だからこそ、テレビの作り手がみずから手のうちを見せることでテレビ文化の未来を拓くことができる、との逆説は説得力に富んだ提言だった。

まだまだ、わたしたちがやれることがあるじゃないか、製作会社が掴み取ることができる未来はあるじゃないか。今回のシンポジウムはわたしに勇気を与えてくれた。

(2005年10月)



【第29回】C・W・ニコルMBE
10月28日、英国大使館大使公邸で叙勲式があった。受勲したのはC・W・ニコルさん。フライ・ イギリス大使の手で羽織袴姿のニコルさんの胸に勲章がつけられた瞬間、黒姫の赤鬼はいよいよその顏を紅潮させて、目を潤ませた。
ニコルさんが授かった勲章は「名誉大英勲章」。イギリスとの関係発展に尽くした貢献に対して与えられる栄誉で、名前の後に勲章の頭文字MB E(Honorary Member of the Most Excellent Order of the British Empire)をアルファベットで記すことができる。
日本国籍を10年前に取得し、いまや押しも押されもせぬ日本人となったニコルさんだが、さすがに女王陛下の勲章が与えられて感慨ひとしおの表情をみせた。

式に集まった人々に向かってニコルさんは謝辞の挨拶をした。
「40年前に初めて日本に来たときは空手の修行だった。武器を持たずに戦うためだった。」
長野県黒姫にあるニコルさんの自宅には小さな道場があって、空手の稽古はいまでも欠かさない。しかし、この40年ニコルさんが戦ってきたのは、環境破壊との戦いだったろう。「武器」の代わりにニコルさんは「物語」で戦ってきた。黒姫山の麓に作りつづけている「アファンの森」には、生まれ故郷ウエールズの、産業革命以降の石炭採掘ですっかり荒れ果てボタ山と化してしまった森を人々の努力で元の美しい森に復活させた「物語」が秘められている。だから黒姫のアファンの森は、ニコルさんにとって「物語」の象徴であり、戦いの拠点でありつづけている。
わたしたちはアマゾン設立まもない時期から黒姫のアファンを舞台に『おいしい博物誌』や『冒険家の食卓』などのシリーズをはじめ多くの番組をニコルさんと作ってきたが、かれが大事にしたのは、ひとつひとつの番組がどんな地球の物語を紡ぎだせるのか、ということだった。情報よりも物語を。それが、わたしがニコルさんと仕事するたびに自分に言い聞かせたことだった。そして、ニコルさんは常に自らを物語の語り部たろうとした。ニコルさんのことばが美しい響きをもつのはそのためだと思う。

ニコルさんの、もうひとつの物語は「海」にある。和歌山県太地に住み捕鯨船に乗り組んで書き上げた小説『勇魚』で描かれた明治の鯨漁師の物語は、やがて日英同盟が結ばれ第一次大戦下世界の海へ出て行った息子の物語へとつながっていく。すなわち日本海軍を舞台に、『盟約』『遭敵艦隊』そして最新作『特務艦隊』へとつづく4作からなる 「海」の物語である。ニコルさんは鯨漁師・甚助と 海軍に身を投じたその息子・三郎を物語の中心にすえて、いまは失われつつある日本人の誇りを浮き彫りにし、また、日英同盟という国際関係を探りながら良好な相互理解のあり方を提示した。イギリスと日本とふたつの故郷をもつニコルさんならではの物語である。

今回、ニコルさんに授与された勲章は、もちろん日英両国の間の平和的貢献に対してのものであることに間違いない。ただ、もうひとつ、ニコルさんが語りつづけてきた「物語」に対しての勲章でもある、とわたしは思った。

(2005年11月)



【第20回】映画「佐賀のがばいばあちゃん」公開決定
アマゾンが製作した映画「佐賀のがばいばあちゃん」がようやく完成、来春、ティ・ジョイの配給、東映の配給協力によって全国公開されることが決定した。準備から2年余、いよいよ映画は世に出て行くことになる。
今回、ティ・ジョイに配給を引き受けていただいたことに、わたしはいまとても興奮している。ティ・ジョイは従来型の映画館のあり方とは異なった、全く新しい発想で作られたきわめて魅力的なシネコン・チェーンだからだ。
この映画がどれだけの数の映画館で上映されることになるか、それは作品のもつ力と話題作り次第だが、拠点となるのは全国各地のティ・ジョイの劇場である。

先日、わたしは福岡県の久留米と小倉のふたつのティ・ジョイを見学してきた。いずれの劇場も新しく開発された商業施設のなかにあって、ショップやレストラン、アミューズメント、書店などと軒を連ねている。この商業施設を訪れた人がエリアを進むうちにいつのまにか自然の流れで映画館の広いロビーにたたずんでいる、という格好だ。
こうした戦略的な設計は劇場のなかにも及んでいる。久留米は10スクリーン、小倉は8スクリーンを擁した劇場だが、受付から各スクリーン入り口までの廊下は長い距離がとられている。つまり、日常から非日常である映画の世界へのアプローチがたっぷりとある。逆にいえば、映画を見終わってもしばらくは映画の世界にひたっていられる時間が長いということだ。小倉に至ってはロビーを出るとちょうど目の前にライトアップされた小倉城がそびえていて、不思議な気分はいや増した。
そして、圧巻はスクリーン(映写幕)。わたしにとっては驚きの映画館体験だった。傾斜のある階段状の客席なので、座席に座ると視野にはスクリーンしかなく、映画と自分が一体となった感覚になる。
この、高精度のスペックをもつドイツ製のスクリーンに映る画面は立体的に迫り、さらに、サミュエ ル・ゴールドウィン・シアター(通称:アカデミー シアター)と同じフルデジタルサウンドシステムを体験してみると、この劇場に一度でも足を運んだ人はそのあともずっと映画が好きになるだろうと思ってしまうほどだ。これこそが究極の戦略なのだとわたしは最後に気づいた。
映画の魅力とは、フィルムに込められた作り手のメッセージを受け取る感動体験にとどまらない。映像と音響の信号を正確にキャッチすることで感動の質を高め、いかに長く感動を持続させるかということでもある。そして、素晴らしい映画体験は、人々の輪を広げ世代をつないでいくだろう。劇場は人をつなぎ時代をつなぐ、そのためのメディアであると あらためて思った。
わたしは、アマゾンが製作する最初の映画が先端的発想をもつ劇場を拠点にできることを幸福に思う。

(2005年12月)
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