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倉内均のエッセイ 第91回〜第97回

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●第91回 『太鼓たたいて笛ふいて』の木場勝己
●第92回 第2回市川森一脚本賞
●第93回 斉藤晴彦さんの思い出
●第94回 10月はアジア
●第95回 大山勝美さんを偲ぶ
●第96回 鳥取県・大山町でのCATV事業に選出
●第97回 第3回市川森一脚本賞






【第91回】『太鼓たたいて笛ふいて』の木場勝己

俳優が戯曲や演出のなかに自分だけのストーリーをひっそりしのばせる、その瞬間を見つけた。
こまつ座公演・井上ひさし作『太鼓たたいて笛ふいて』(栗山民也演出)。
2002年の初演に始まり今回の2014年1月公演は4度目の上演である。
この作品は昭和10(1935)年から昭和26(1951)年までの16年間にわたる林芙美子の評伝劇となっている。
『放浪記』で一躍人気作家となった林芙美子は、戦時下の日本にあって前線に従軍し戦争を賛美する記事を書き、文字通り、太鼓たたいて笛ふいて、国民を戦地に駆り出す戦争遂行の宣伝役を果たした。しかし、戦後はその反省にたって戦災孤児、戦争で夫を失った女性たちの生活を書き、自らの戦争責任を果たそうとした。
戦争指導者にとどまらない日本人ひとりひとりの戦争責任を問う井上ひさしの一連のテーマの作品である。
林芙美子を演じる大竹しのぶの凄みを感じさせる力演については、ここであらためて言うまでもない。わたしは、三木孝(木場勝己)に注目した。
木場が演じるレコード会社プロデューサー三木孝は、芙美子が戦争協力に傾むく冒頭のシーンで、「物語」を説く。先生は物語というものを分かっていない、世の中を底の方で動かしている物語、それは「戦争は儲かるという物語」。その物語に乗れば小説も売れると。
「売れる」という誘惑には誰しも抗し難い。芙美子はその「物語」に乗って戦争協力の最前線に立つ、というくだりまでが一幕。
芙美子を戦争協力に誘いこんだ三木孝は、戦前戦後を通じて情報メディアの側にいる人物である。戦中は軍部支配下の内閣情報局の一員として戦争のプロパガンダと言論統制に務め、そして戦後、GHQ 占領下では日本放送協会の職員として今度は戦後民主主義啓蒙の先兵の役割を果たす。三木はいまも昔も時代の「物語」に沿って生きる日本人の姿が投影された人物である。
二幕。敗戦を5ヶ月後にひかえたころ。
芙美子は従軍体験を重ねるうちに戦争という物語の虚妄に気づき、敗戦を公言するようになる。内閣情報局の一員となっている三木孝にとって、芙美子の言動は糾さなくてはならない。
ところが、二幕の幕開けに登場する木場勝己はちょっと様子が変わっていた。どこか覇気をなくしている。それまで疑うことがなかった自信が揺らいでいるように見える。
本来なら反戦思想を取り締り、国民を戦争遂行に向わせる、有無を言わせぬ権力者としての振る舞いをする立場にあるはずが、どこか沈鬱だった。
終演後、わたしは木場勝己にそのことを尋ねた。木場さんは言った。もしかしたら、作者と演出家のねらいとは違っているかもしれないが、敗戦間近の内閣情報局にいる者として戦局のなりゆきは誰よりも知っていたはずで、その可能性を役に取り込み、自分なりの裏ストーリーを考えたということだった。そして、戯曲の「すきま」に実は役者の仕事がたっぷりあることを痛感したとも言った。
木場勝己は、初演以来すべての上演にこの役で出演している。だからこそ、上演ごとに変化する時代の空気を敏感に戯曲の行間に反映させる。それが俳優の務めだと木場さんは言ったのだった。
作品はこうしていまの命が吹き込まれて生きつづけていく。
原作者のメッセージを敬意をもって再現しながら、登場人物に時代に対する批評性をひそませて物語を紡ぐ俳優の想像力をみた一瞬だった。
『太鼓たたいて笛ふいて』公演は、2月9日まで東京、3月1日福岡で千秋楽となる。

(2014年2月)



【第92回】第2回市川森一脚本賞

今回で2回目となる市川森一脚本賞は7人の新進脚本家とその作品が候補となった。故市川森一の名を冠したこの脚本賞は氏の意志を受け継ぎ、ドラマの常識的作法にとらわれないチャレンジ性をもち、新しい世界観でのオリジナル脚本を書いた作家と作品が対象である。
7作品のうち4作がフジテレビの連ドラである。原作に依拠する昨今のテレビドラマにあって、若手作家を起用しオリジナルドラマを制作するフジテレビの意欲に先ずは敬意を表したい。
受賞したのは、『ラストホープ』(フジテレビ)全11回を書いた浜田秀哉氏(41歳)。力強い骨格をもち、感情を排したハードボイルドな作風はもはや若手とは言いがたい本格派といってよい。
サラリーマンだった10年前、一念発起して脚本を書こうと思いたち、退職し半年間を無職で過ごして、ようやく書いた一本がラジオドラマの懸賞で最優秀賞を受賞した。
これで当初で目的を果たしたと就職を考えていた時、市川森一氏から脚本家になることを勧められたという。

第1回につづいて選考に当たったわたしは次のような選評を書いた。
「 『ラストボープ』の浜田秀哉氏の力量に注目した。一般には馴染みのない医療用語でほぼ全編を満たすという仕立てに並々ならぬ自信と度胸を感じた。たび重なるフラッシュバック手法が登場人物の人生の陰影を深め、多層構造のドラマにした設計も凄腕。そして、ついには主人公の出自が遺伝子操作によるドナーベイビーだったという結末に至って、先端医療と倫理との境界線にまで踏み込み、生命の根源に迫ろうとした。このラジカルさに私は拍手を送りたい。浜田氏の才能はこの先、これまでテレビドラマに不向きとされてきた分野でも発揮されるに違いない。たとえば原発の「メルトダウン」をこの人だったら どうドラマにするだろうと想像した」

(2014年5月)



【第93回】斉藤晴彦さんの思い出

6月27日、斉藤晴彦さんが亡くなった。73歳だった。
突然の訃報だった。劇団黒テントの秋の公演に向けたプレ稽古の最中で、前日も元気で稽古をし仲間と酒席を囲んだという。知らせを聞いて劇団の仲間が斉藤さんの部屋を訪ねると、メガネなど外出用の持ち物はそのままだったという。きっとちょっとした用事で近所へ出た折のことだったのではないかと想像すると、劇団の仲間や関係者の驚きや悲しみ以上に本人がいちばん残念無念の気持ちで旅立たれたのではなかったと思う。

わたしは俳優・斉藤晴彦さんと数多く仕事をした。いま斉藤さんの思い出が次から次によみがえってくる。

最初はわたしの最初のドラマ演出の『ドキュメンタリードラマ 二・二六事件〜目撃者の証言』(1976年・日本テレビ)で、同じ黒テントの座付作家だった山元清多(ゲンさん)が初めてテレビドラマを書いた作品だった。青年将校率いる決起軍の襲撃から難を逃れた岡田啓介首相は官邸の女中部屋の押し入れの中に匿われていたのだが、そこからの脱出劇を事実に基づいて描いた番組だった。
脚本を依頼しにプロデューサーの重延浩さんと新宿の喫茶店に行ったとき、ゲンさんと一緒におられたのが30代半ばの斉藤晴彦さんだった。ドラマでは、斉藤さんは官邸内を巡察する兵隊の役で出演した。女中部屋にやってきて押し入れからことりと物音がしたとき、「何だ!?」と叫んだあと、一瞬考え、押し入れを開けずそのまま出て行くというシーンがあった。首相の存在に気がついたのかどうか、斉藤さんの演じた芝居は謎を残したが、不思議な説得力があってわたしは謎のままにした。
つづいて翌年のやはりゲンさんと組んだ『ドキュメンタリードラマ 太平洋の生還者』(1977年・日本テレビ)では、太平洋戦争中にハワイにあった日本兵捕虜収容所の捕虜のひとりを演じた。ここでは「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓から、捕虜となった日本兵は皆あだ名で呼ばれていて、斉藤さんは“社長”という名の役だったが、出自も所属もいっさいわからない、なんとも正体不明のキャラクターを演じた。

また、斉藤さんはクラシック音楽好きで有名だが、こどもの頃から大抵の交響曲のメロディを諳んじていたというくらいで、大学受験では楽譜は読めないが芸大を受験したという逸話もあるほどだ。
あるとき、作曲家の山本直純さんから、モーツアルトの「フィガロの結婚」序曲に詞をつけて演奏したいとの依頼があった。わたしたちは「種まけば、芽が出る、葉が出る、花咲き、実を結ぶ」という出だしで始まる、米をはじめとするありとあらゆる作物の名前を織り込んだ「種まき」という農業ソングを作った。この曲は斉藤さんと同じ黒テントの服部良次さんが歌いコンサートで演奏した。長さ3分ほどの曲だが、モーツアルトは
速ければ速いほどいいという注文をつけているので、“超高速”に挑戦する姿が見どころ聞きどころになった。役者ならばこその表現だった。
そして、これがきっかけとなって『オーケストラがやってきた』という番組では、お二人にベートーベン「運命」の第一楽章に歌詞をあてて歌ってもらうという、プロではない歌手がオーケストラをバックに歌うという前代未聞の試みもした。斉藤さんが交響曲を歌うCMに出演し、一躍世の中に知られる人となったのはその頃である。
その後、『ピーマン白書』(1980年・フジテレビ)や映画『冬物語』(1989年・東宝)にも出演していただき、異彩を放つ役者としてわたしの演出作品にはなくてはならない存在だった。
2010年にゲンさんが亡くなった直後に、斉藤さんは黒テント公演『歌うワーニャ伯父さん』を演出し上演した。もっとも信頼する仲間を亡くした斉藤さんの心情は察するに余りあるが、その思いは芝居から伺われた。
ラストのソーニャのセリフ 「運命の試練にじっと耐えていきましょうよ。いまも、年とってからも、休むことなく人びとのために働きましょうよ。そして時が来たら、おとなしく死んでいきましょうね。・・・そうして休みましょうね」。
斉藤さんがゲンさんに送ったセリフだと思った。
斉藤さんの芝居からもらったこのセリフを斉藤さんに捧げたい。

(2014年7月)



【第94回】10月はアジア

ATP は 10 月、アジアとの交流に明け暮れた。
第9回アジアドラマカンファレンスは、10月15日から4日間ソウルで開催された。韓国KOFICEの主催で日本、中国のほかアジア各国の脚本家とプロデューサー100人が一堂に会し「マルチプラットフォーム時代のドラマコンテンツ戦略」というテーマで語り合った。アジア各国でインターネット環境が急変している中、従来からのテレビ視聴者層の獲得を維持しつつ、WEBドラマとの連動に発展し、若者層をネット配信でいかに獲得していくか大きな議論となった。
日本からは20名が参加し、テレビ朝日と東映が製作したネットドラマ『白魔女学園』と『相棒劇場版Ⅲ 序章』、日本テレビは4Kカメラ撮影ドラマ『殺人偏差値70』の演出家がマルチプラットフォームにおけるビジネス展開を紹介した。
中国は『生活黙示録』を紹介、国内での放送と同時に WEB 上で公開し10億ビューを超える成功を収めたという。
韓国からは、今年大ヒットとなったドラマ『星から来たあなた』の脚本家パク・ジウン氏が、中国でもネット配信され再生回数37億回を記録した事例を述べた。
いずれも、アジアのドラマはいまインターネットを含むマルチプラットフォームで展開し、製作費回収と収益確保の上で必須なビジネスモデルとなっている潮流を示した。
一週間後の、10月21日からの TIFFCOM2014(東京国際映画祭併設マルチコンテンツマーケット)では、ATP は昨年につづきブースを出展、海外のバイヤーたちに向けて製作会社が保有する番組や映画を売り込んだ。ここでも欧米をはるかにしのぐ数のアジアの放送局や配給業者が訪れ、時代劇などのドラマやドキュメンタリーの他にバラエティ番組のフォーマットに関心が寄せられた。
そして10月29日から4日間、TOKYO DOCS2014 が開催された。初日は「アジアデー」と銘打ち、アジア各国のプロデューサー30名を招待してドキュメンタリーの国際共同製作の実現のためにどのような連携を深めていくかを議論した。
ここから、『アジアの色彩』という30分の番組を4本シリーズで製作、放送する計画が進んでいる。
10月はアジアの風に吹かれた。しかも熱い風だ。
それにしてもなぜいま、アジアなのか、わたしは改めて思った。市場の論理で喧伝されるアジア志向にとどまらず、ドラマであれドキュメンタリーであれ、私たちが向き合うのは人間そのものである以上、アジアのどの国、地域であっても共有できるテーマを見据えるのが私たちのアジア共同体に他ならない

(2014年11月)



【第95回】大山勝美さんを偲ぶ

2月9日大山勝美さんを偲ぶ会があった。
大山さんは昨年10月5日にご逝去。享年82歳だった。
TBS、カズモと一貫してドラマの演出、制作に当たり、多くの話題作、受賞作を手がけられた。なかでも山田太一脚本『ふぞろいの林檎たち』はよく知られるところだが、この日紹介された初期の演出作品の映像は初めて見るものだった。
1957年に TBS に入社、2年後に演出した『慎太郎ミステリー暗闇の声』や『判事よ自らを裁け』(1960 年)、『正塚の婆さん』(1962 年)の一部の映像だった。VTR のないこの時代のドラマは生放送で、大抵は残存していないが、これらの番組は奇跡的にキネコ(モニターをフィルムで再撮されたもの)で保存されていたものだ。
これらは、電気紙芝居と揶揄されていた当時のテレビドラマの芸術性を高め、文化としてのテレビであろうとする意気込みで作られたと解説される。しかし、いま見ると、芸術性、文化性というよりは思いきった実験的、冒険的な手法が駆使されたアバンギャルドな作風で、生(ナマ)ゆえのいまそこにいる人間(俳優)の、いまそこで起こっている出来事を生々しく中継する番組、そんな印象を受けた。
それこそがテレビの原点であり、いまでは信じられないほどの小さな14インチ画面から強烈な主張と熱気を発するこれらの作品群は、ドラマに携わる者の志を改めて自問させるものでもあった。
放送人の会二代目会長として、日韓中テレビ制作者フォーラムを立ち上げ、テレビマンの交流に尽力した大山さんは、亡くなる直前にこの会議の運営と新人の育成に5000万円の私費を寄付されたという。
この日の会では大山さんの仕事人間ぶりが語られたが、ご自分の仕事だけでなくほとんどのドラマや映画、演劇を見ておられていたと思う。わたしは ATPや業界の集まりでご挨拶する程度のおつきあいだったが、わたしなぞの仕事も見てくださっていて、感想をいただいた。どんなに励まされたことかとお礼したい。
会の最後に夫人である渡辺美佐子さんのご挨拶があった。大山さんを「ふつうの人」と評したうえで、普通の人間が生涯ドラマを作ることができたのは支えてくれる人が周りにいたからだったと語られた。
そして、渡辺さんはこう締めくくった。亡くなる少し前、一緒にテレビを見ていた。人間は死んだらどこへ行くのかという番組だった。霊魂になると大山さんは言ったという。大山さんはいま嬉しくてありがたくて、この会場の皆さんのそばにいると。

(2015年2月)



【第96回】鳥取県・大山町でのCATV事業に選出

中国地方の最高峰である大山を頂く鳥取県・大山町に町営 CATV 局の「大山チャンネル」がある。
アマゾンラテルナはこの4月から町から番組制作の委託を受け、事業を引き継ぐことになった。昨年9月からネット上で配信している「部活 DO」で大山町の地域創生に取り組む住民会議を取材したことがきっかけとなった。
2月末、大山町で事業進出協定の調印式があった。この日協定を結んだのは当社と、全国でフィットネス事業を展開するカーブスジャパンの2社。
先頃、2040年までの若年女性の減少率をもとに、全国896の自治体が消滅可能性にあることが公表されたが、高齢化、少子化、人口減少で、介護保険や医療保険などの社会保障の維持と雇用の確保が難しくなるという問題をほとんどの地方町村が抱えている。大山町も例外ではなく、これからの30年間の20〜39歳の女性人口の予想減少率は63.3%といわれる。だからこそ大山町行政の危機感は強く、住民ぐるみの町の再生も活発化している。今回のCATV 局のリニューアルもその一環である。
アマゾンラテルナは鳥取・大山オフィスを開設、社員2名が家族で移住、さらに現地スタッフ2名と雇用契約を結び、企画・制作と配信に携わる。
新生「大山チャンネル」では「住民参加」をコンセプトの中心にすえる。町民が制作にも参加して問題意識を共有しながら、町の魅力を再発見し内外に発信していこうというものだ。
ここでわたしが最大の可能性を感じるのは、子どもである。地域経営の未来の担い手である子どもたちといかに一緒に番組作りをしていけるか。地域創生の基本は、地域を知り学ぶことにある。幸い、大山町には歴史的遺産があり豊かな自然環境がある。わたしたちの CATV が小学校や中学校の課外授業の役割を果たすことで、子どもたちの心に地域への愛が育まれていくことを心から願っている。そのための「モノ、カネ、人」支援の地方創生政策であってほしい。
そして、中央から地方へという一方通行的なこれまでの放送だけでなく、地方発のコンテンツがテレビ上でクロスして、より豊かで多様な放送になることに大きな期待を持っている。

 
(2015年4月)



【第87回】第3回市川森一脚本賞

3回目を迎えた市川森一脚本賞の受賞者が決定した。今回、本賞の該当者はなく奨励賞2名の受賞となった。宇田学氏とバカリズム氏である。
デビューして10年くらいの若手ライターによるオリジナル脚本というのがこの賞の選考基準だが、今回(2014年)の候補者は3名にとどまっている。
第一回が6名、第二回が7名だったことを考えると、いまテレビドラマは若手脚本家にオリジナルを書いてもらう余裕がなく、作家の名前でキャスティングが有利に働き視聴率に反映させ、もってスポンサー営業も順調に運びたい、そうした要請に応える成功事例を持ったメジャー脚本家に仕事が集中する傾向の現れだろうか。
それでも、今回、いずれも演劇やバラエティといった分野で活躍する若手のライターに門戸を開き、新しいドラマへのチャレンジを試みた放送局や制作者に拍手を送りたい。
以下は全2回にひきつづき選考に当たったわたしの選評である。
「宇田学氏の「悪夢」(NHKEテレ)は障害者週間の特集として障害者を主人公にすえた異色のドラマである。統合失調症の主人公がダウン症や脳性麻痺、歩行障害、全盲などの人間と関わるうちに自らの居場所を発見していくストーリー。
このドラマの根底には、出演者でもある障害者が自らを肯定する証言も交えながら、「健常者のあなたには居場所があるのか?」という問いがあり、存在のありかが不確かになっている私たち自身にメッセージが向けられている。
バカリズム氏の「素敵な選 TAXI」(関西テレビ・全10回)は、シチュエーションの設定においてオリジナリティの点で随一であり、キレもテンポもある才気煥発の娯楽作である。本編中にチャート図が挿入されるなど遊びの趣向もふんだんで楽しめる。既存のドラマ作法にあきたらない氏の野望かと大いに期待したが、回を重ねるうちに私の思いはすぼんでいった。もし本作が単発作品だったらいちばんに推していたと思う。
今回、候補作4本に共通して気になったのは予定調和的な結末だった。問題提起には必ず前向きな解決が用意されなければいけないというのは病ではないのか、それがなければ視聴者が納得しないというのは制作側の思い込みではないか。
"安心、安全"な解決を不可欠とするドラマは、2020年をゴールと定め希望でしか語らない日本の姿と似ている。

(2015年5月)

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